「いもや」閉店

昨日の昼、九段下近くの天ぷらの「いもや」に行ったら、閉店の貼紙が。
24日が最後だった。
いつ行っても混んでたし、
景気の良し悪しに関係なく古馴染みの固定客が多そうだが・・・
一般人には分からない、何かしら時代の流れというものがあったのだろう。


神保町にはもう一軒天ぷらの店があるはずなので
「もうあの味に出会えない」ということはなく実質的に困りはしないのだが
いつも行っていた店が突然なくなってしまうのはやはり寂しい。
揚げる人と、食器を片付ける人と、おばさんと。いつ行っても3人。
僕はほとんどの場合、海老定食におしんこだった。
(普通の定食と海老定食と追加しかない)
店に入ると「定食?」と聞かれ、「海老で、あと、おしんこ」と答える。


最近行った2回は1000円札で払ったら
おしんこの分100円を数え忘れていたり、
海老定食850円のはずが定食650円と思われたり。
「おっ!ラッキー」って黙ってたんだけど、
もし経営難で店を閉めたんだとしたらとても申し訳ないことをした。


あのプリプリした大ぶりの海老がサクッと香ばしい衣に包まれて
ホクホクと揚げたてで3本。かぼちゃと春菊。
あれで850円は安いなあ。市井の天ぷら屋のチャンピオンだった。
もっと高くて偉そうで、世の中たいしておいしくない天ぷら屋ばっかりだ。


僕はとある育英会奨学金をもらっていて、
18歳で大学進学のため上京したときに
育英会を通じて、寄付している支援者の方から
「青春を謳歌してこれからの人生がんばってください」といった内容の葉書を頂いた。
(これはアトランダムにその年の新入生に送られたものだろう)
お礼の葉書を送ったら再度葉書を頂いた。
これが天ぷらだったか天丼だったか「いもや」とあって、
神保町に来ることがあったら天丼(定食?)をごちそうしますとなってたのに
結局機会がなく行かずじまい。
大学1・2年の頃は古本に興味はなく、
小平の奥に住んでいたので往復の電車賃だけで普通の店で普通に天丼が食べられた。
社会人となって神保町のお客さんのところに常駐する。
天ぷらの店だったり、天丼の店だったり。
「あの葉書を頂いたのはこの人だろうか」
と思いながらカウンターに座って黙って食べる。
そんなこともあり、僕にとって「いもや」は格別の味となった。


なんで昭和の名店がこんなあっさりと消えてしまうのだろうか?
この世はとかく世知辛い。