『大野一雄 ひとりごとのように』

日本を代表する舞踏家、大野一雄
今年6月1日に103歳で亡くなる。
とある方とのやりとりの中で、東中野のポレポレ座で追悼上映ということで
大野一雄 ひとりごとのように』がレイトショーされているのを知る。
先週末まで。見に行くつもりが、あれこれタイミングが悪くて逃す。
TSUTAYA DISCAS で借りれたので、昨日の夜見てみた。
(というかここだけの話、ポレポレ座が苦手なんですよね)


かなり遅まきながら僕がこの人のことを知ったのは
Antony & The Johnsons の昨年のアルバム『The Crying Light』のジャケットにて
そのポートレートが使用されていたのがきっかけ。
今年初めの来日公演では同じく舞踏家である息子、
大野慶人とのコラボレーションだったという。
先週末23日の上映では終了後にその大野慶人の舞踏が披露されたようだ。


大野一雄 ひとりごとのように』は2001年、95歳のときの公演とその練習風景、
そして第3回織部賞グランプリを受けて授賞式での姿を捉えたもの。
前年、腰を痛めたということで自ら立ち上がれない。
椅子に座って、あるいは息子に支えられながら主に上半身だけで踊る。
手や腕が自立した(そして年老いた)生命のようにクネクネと動く。
正直、鬼気迫るというものではない。残骸だと思った。恍惚の残骸。
だけど、しゃんとしてたときはすごかったんだろうな、とも思った。
織部賞の授賞式の場面にて往年の姿が少しだけ会場のスクリーンに映し出される。
そこのところを垣間見て初めて、そのすごさの片鱗に触れることができた。
やはり舞踏は足腰なのだなあ、と門外漢ながら感想をもつ。


95歳の誕生日を祝しての講演。
パッと咲く、そして、スラッと散っていく。
ただそれだけを椅子に座って、全身の動きを両腕に託して儚く繰り返す。
稽古場では床に座り込んで、履いていた靴を脱いで手に取って振りかざす。
「私は踊りたいんだ、なのに踊れないんだから家に帰れと周りから言われた」と
か細い声で悲痛な叫びを挙げる。何度も、何度も。


代表作とされる「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」
これら映像が残っていないものだろうか?
YouTubeだとこの辺りがよさそう。
http://www.youtube.com/watch?v=cG4H4yeNHs0