1994夏

梅雨が明けて、このところ暑かった。
ようやく今日雨が降った。


モスクワでは130年の観測史上での最高気温37℃を記録したと先週ニュースで見た。
ウォッカを飲んでプールに飛び込んで溺れる人が続出とどこかで聞いた。
1994年の8月、1ヶ月をモスクワで過ごしたことを思い出す。
確かにそんな暑くはなかった。
後半ともなるとむしろ夜は寒かった。
日中も20℃半ばで、秋の気配が少しずつ忍び寄っていた。


その夏、日本は猛暑だった。
最高気温38℃だったかの一番暑い日に自転車に乗って小平から立川まで。
パスポートを申請するんだったか、受け取るんだったか。死にそうになった。
毎晩熱帯夜。日本を脱出できて、モスクワには涼しい印象しかない。


(余談だが、日本の新聞に毎日目を通している方から
 ビートたけしがバイクの横転で重症、というニュースを知らされる。
 その他いろんなニュースを教えてもらってのに、
 なぜかこのことだけが今も印象に強く残っている)


水不足となったのはこの年だったか。関係ないか。
米の備蓄がないということで、あちこちでタイ米を食べたような。
やはりおいしくはなかったな。その後見かけない。


9月になって、1週間ほど青森に戻った。
何をしていたのか記憶にない。高校時代の友達にでも会ったのだろうか?
(翌年1995年の夏休みは、20歳、人生で最も文学にのめりこんでいる時期で、
 『ユリシーズ』を初めとして貪るように読んでいた)


そうだ、当時髪を脱色していて、茶色。親戚の集まりで笑われたように思う。
しかしそれがいつだったか。
お盆の時期には日本にいなかったし、9月に集まることもないだろう。
既にしてほとんどの記憶が曖昧なものとなっている。


東京に戻ってきて、バイトの日々。
何事もなかったかのように夜は麻雀を打つ。
それが朝まで。明け方、駅前の立ち食い蕎麦屋に行って牛メシを食べる。
そんな19歳。
ダラダラとクーラーのある部屋に集まって、ボケーッとアイスを食べて。
今思うとこのときが人生の特異点となって、「夏」の基準になっている。
もう16年も昔のこと。


あれからどれだけの夏が過ぎたか。
季節はただ繰り返すだけになった。
冬になって、夏になって。
もはや、とりとめもなく。


エアコンの効いた真っ暗な部屋で、昔のことを思いながら横たわり、眠る。