『アーサー・ラッセル ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』

驚いたことにアーサー・ラッセルの伝記の翻訳が出版された。
2000年代に入ってから編集盤が何種類も発売されて
再評価が進んできたのが、ここまで来たか。
http://www.amazon.co.jp/dp/4860203623/


1951年アイオワ州の何の変哲もない田舎町に生まれ、
サンフランシスコからニューヨークへ。
現代音楽、フォーク、ディスコ、ニューウェーブなロック・ミュージックと
様々なジャンルを自由に行き来し、作曲と演奏に身も心も捧げるが、
その作品は一部のアンダーグラウンドなヒットとなった以外は
ほぼ知られることなく終わった。
1992年エイズにより、死去。


主にチェロを演奏したが、様々な楽器に精通していた。
ニューヨークでは有名なところだと詩人アレン・ギンズバーグ
現代音楽の作家フィリップ・グラスらと親交を結び、
Talking Heads のジェリー・ハリソンやその仲間たちとステージに立った。
(その縁で『Talking Heads: 77』"Psycho Killer"にてチェロを弾いているが、
 そのテイクは採用されず。近年の再発にてボーナストラックとして収録された。
 『Naked』でもチェロを演奏しているという)


「The Kitchen」や「The Loft」にて夜な夜な先鋭的な音楽に浸って、
80年代はディスコに接近する。ダンス・ミュージックに可能性を見出した。
リズムというものに強い興味をもっていたから、というだけではなく、
作品を「完成」させて終止符を打つのは好ましくない。
リミックスを繰り返して曲を絶えず生まれ変わらせたい。
そんな気持ちがあった。


仲間たちと演奏するのが何よりも楽しい。ほっとくと際限なくスタジオにいる。
曲を世に出したいという思いはあっても、
売るということ、ビジネスというものについては疎かった。
一言で言うならば、イノセントで不器用だった。
例えば、ボブ・ディランブルース・スプリングスティーンをスカウトした
コロンビア・レコードのジョン・ハモンド
次の世代のフォーク・シンガーを求めて、アーサー・ラッセルに白羽の矢を立てた。
スタジオでデモを録音して、その場で何「曲」か聴こうとした。
なのにアーサーは仲間内のミュージシャンを大勢呼び込んで
延々と終わりなきセッションを繰り広げた。
失望したジョン・ハモンドはアルバムの契約を取りやめた。


あるいは他の例として。
小さなレコード会社の契約にありついて 12inch を出すものの
気に入ったのは一部の先鋭的なミュージシャンだけ。
「パラダイス・ガレージ」の DJ だったラリー・レヴァン
フランソワ・ケヴォーキアン、ウォルター・ギボンらによって
リミックスされることでようやくフロアで受け入れられる楽曲となった。
つまり、翻訳者が必要とされた。


僕がアーサー・ラッセルの音楽に出会ったのは
数年前の再評価ムーヴメントがまさに始まったとき。
"Let's Go Swimming"や"Go Bang"といった代表曲の収められた
Soul Jazz Recordsのコンピをたまたまどこかで見かけた。
その後の P-Vine からの再発シリーズも全部買った。
エフェクターをかけたチェロと自身のヴォーカルだけの
アンビエントでフォーキーなアルバム『World of Echo』は
「こんな音楽他に聞いたことがない」と何度も繰り返し聞ことになった。
儚くて、脆くて、どこか別の世界からそっと降り注ぐような音。
真っ白で、美しくて、だけどつたない、壊れそうな音。


今の耳で聞くと"Let's Go Swimming"や"Go Bang"も
取り立ててどうこういう曲ではない。
どの曲も単調で抑揚がなく、奇妙なウワモノが現われては消える普通のディスコ。
でもこれって当時はとんでもなく独創的な音だったんだろうな。
それが普通に聞こえるというのは
時代がようやくアーサー・ラッセルに追いついたのか。


いや、結局はアーサー・ラッセルも1つの大きな流れの中の欠片に過ぎないのだろう。
ゆえに後続のミュージシャンたちの多くが
彼の影響下にあるような錯覚を抱いてしまう。
例えば僕は先日、たまたま The Magnetic Fields『69 Love Songs』の3枚組を聞いて、
たくさんの曲というか断片が取り留めなく並ぶ様について
なんだかひどくアーサー・ラッセルっぽいなと思った。


そうだ、ジョン・カサヴェテスの脚本を息子、ニック・カサヴェテスが監督した
『シーズ・ソー・ラブリー』を観て、2人はとても似ていると思った。
人生と作品の構造と、その中を流れる力学が。
物事をどうにかしたいのに不器用でどうすることもできない。
否応もなくひどい場所へと流されていく。
それはP・K・ディックも同じだ。
この3人はとても似ている。
死後カリスマ的な再評価を受けたという点がまさにそうで、
そうなるための資質に拘泥した生涯に悩まされて
満たされないまま死ぬこととなった。


そんな不遇の人生を僕らは好む。
美しき負け犬たちの系譜。


アーサー・ラッセル ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険 (P‐Vine BOOKs)

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