『海上の道』

先週『遠野物語』を読んでから、柳田国男の著作を拾い読みしている。
学生時代になんとなく思って、でも手が出なかったんだけど、
民俗学ってのはやっぱ面白いね。
昔読んだ「都市のフォークロア」系はその廉価版みたいだったり、
あるいは都築響一の諸作『TOKYO STYLE』のシリーズなんてのは
最もわかりやすい現代の事例集か。
日々生きててその考え方は無縁じゃないんですね。
市井の名も無き人たちの何気ない生活の姿に興味を持つ。
これはどこから来たのだろう? なんでこんなふうになっちゃったのだろう?
どこへ行くのだろう? もしかしたらあれと似てないか?
この前のあれと比べたとき、こういうところが面白くない? などなど。


直接的な民俗学の著作ではないけれども、
折口信夫の『死者の書』も面白かった。
日本人が日本語で物語を語ること、綴ること、思いを馳せること。
その最高峰なのではないか。


柳田国男最晩年の『海上の道』というのを今日の昼休みに少し読んだ。
岩波文庫のワイド版で出ている。
表題作を初めとして関連する論考を集めたもの。
そのテーマは、日本人はどこから来たのか?
恐らく日本人の祖先に当たる人たちは
中国大陸や朝鮮半島から小さな舟に乗って海を渡ってきた。
1回や2回ではなく、それぞれの時代にそれぞれの人たちが。
前後して稲作も伝わった。


(ちなみに、その頃日本列島のあちこちがことごとく無人だったのではなく、
 もっと前から住んでいた人たちがいた。先住民族
 彼らは山へと追いやられ、いわゆる山人になった。漂白の人たち。
 それが後に例えば天狗と思われ・・・
 つまり今の日本人たちは後から来た、新しい人々だった)


不老不死の薬を求めて秦の始皇帝から遣わされた徐福の伝説も
そういった人たち、移住を試みた人たちの言い伝えることと
結びついているのではないか、とあった。
徐福の船団には約3,000人もの人たちが乗り込んでいて、
その中には子供たちも大勢含まれていたという。
彼らの真の目的は新しい地に移住し何代も生き延びていくことだったのではないか。
(僕自身はそれこそが不老不死なのだと思う。一個人ではなく、類系として)


そう、僕らの祖先は海を渡ってきた。
そしてそこに柳田国男は「なぜ?」を付け加える。
なぜ彼らは海を渡ったのか。
柳田国男によれば彼らは、宝貝子安貝)を求めていたのだという。
これがまさしく古代の人々にとっての宝であって、命を掛けても遠くに探し求めた。
新しくたどり着いた島の砂浜にて光沢を帯びた貝を拾う。
その島(例えば、八重山諸島)が住みよいところと思われたので、
一度戻って家族を引き連れて移り住んだ。


安っぽい言い方になるけど、ロマンを感じさせる話。
彼らは海伝いに沖縄諸島へ、九州へ、瀬戸内へ、というように
太平洋の流れに乗って北上していく。
さて、どこまで到達したのだろう?


この着想の始まりが、何十年も前、若い頃渥美半島伊良湖岬に遊んだときに
砂浜に打ち寄せられていた椰子の実を見つけたことがきっかけだったのだという。
この時間の流れが、いい。悠久で、壮大で、滔々とした。
舟に乗り移り住む日本人の祖先たちの姿にどこか、重なる。


(なお、このときの話を聞いた島崎藤村が歌詞を書いたのが、
 「名も知らぬ遠き島より流れ寄る」で始まる有名な「椰子の実」の歌)


流木であったり、鯨の死骸であったり、見当もつかない破片であったり。
浜辺には古来より様々の寄物が打ち寄せられてきた。
日本人もまた、かつてはそのようなものであったのだ。
壮大なる漂着物。


そして僕らは、今や、どこにも行き場が無い。
漂うにも見果てぬ地が残されていない。
日本人は、これから先どこへと向かうのか。

海上の道 (岩波文庫 青 138-6)

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死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

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