コミュニケーション

HMVamazon で CD や DVD をオーダーすると佐川急便で届く。
平日の日中は受け取れないので、土日の夜に再配達指定をする。
いつもだいたい同じおっちゃんが届けに来る。
これでもう1年か2年はこのおっちゃんだ。
(配達地区のローテーションってあるんですかね?)


最初はただ単に配達していただけなのが、
ドアを開けたときにおっちゃんの発する「あ、どーも」という声が
心なしか少しずつ親密さを増していってるように思う。
僕は僕で気を許して、無防備になっていく。


この前の和歌山出張で土曜に帰ってきたら、郵便受けの箱が新しくなっていた。
大家さんが付け替えたんだろうなと思う。
前のが壊れたわけではなく、今度のが取り立てて大きくなったわけではなく。
なんかの気まぐれでたまたま交換することになったのだろう。
蓋を開けて新聞を取り出して、ふーん、と思いながら階段を上がって部屋に入った。


次の日、日曜の夜、HMV から CD が届く。
以前再配達を依頼していたものだ。
いつも通りインターフォン越しに「あ、ども佐川急便です」と声がして、
僕はドアを開ける。いつも通り受け取って伝票にサインをする。
そのとき、おっちゃんは「郵便受け変わったんですね」と言った。
突然のことで僕は「え、えぇ、まあ」みたいなことしか返せなかった。
それっきり。「じゃあ、どうも」と言っておっちゃんは階段を下りていった。


配達人と受取人とが交わす事務的な会話のやりとりから一歩踏み出して、
コミュニケーションとでも呼ぶべきものが生まれる。
なんだかジンワリと温かい気持ちになった。
もっとなんか違うことが言えたらなあと
ただそのことばかりをしばらくの間考えていた。


HMV の箱ばかりを届けているからと言って、
「お客さん、いつもここで何か買ってるんですね」というような
プライバシーに立ち入るようなことは配達人の立場からは絶対言わない、と思う。
だから暑いですねとか雨ですねといったことぐらいしか普段は話すネタがない。
郵便受けが変わったというのはプライベートな出来事のようでいて、そうでもない。
自分と外界との接点、インタフェースのようなものであって
ある意味僕のものではない。だから会話のきっかけになりうる。
こんな何気ないものが、ささやかなりとも何かを変えたわけだ。
しかもそれは僕ではなく大家さんという他人によってもたらされたものであって。
巡り合わせのようなものを感じた。


僕が今日言いたかったことはただそれだけ。
僕のしたことが、あなたのしたことが、
他の誰かの何かにつながって、ちょっとしたことが起こっている。
日々はその積み重ねであって、
様々な色の様々な太さの糸がかすかな模様を描きながら
続いているのだということ。