世界の終わり '2010

ジャワ島での噴火のニュースを見て
もしかして本当に世界の終わりは近づいてるのかもな、と思った。
地震津波や異常気象のニュースがここ数年多過ぎる。
超常現象に関する本ばかり読んでいた暗い小学生の頃、
『ムー』系の、この予言者はこの時期にこんなことが起きると予言した、
というのを年毎に並べた本を読んだことがある。
どんな予言の類も最終的な破滅の前に
全地球規模で天変地異が起こることになっていた。
…きっと今がそうじゃないか。


(それにしてもなぜ、予言というものは必ず終末論を語るんでしょうね。
 キリスト教の「千年王国」が根っこにあるからなんでしょうけど)


2012年に世界は滅びるっていうマヤの予言があるじゃないですか。
日本じゃ盛り上がってないけどアメリカでは結構信じられてて。
意外と本当に世界は終わったりして。
「災害だったらまだましか、核戦争が起きるんじゃない限り、ま、いいか」
なんてさっき、西友からの帰り道、歩きながら真剣に考えていた。
そんなとき、積極的に生き残りたいとも思わない。
寝てる間に、というのがベストだ。


マヤの予言は眉唾物として、最近「未来」が語られてないじゃないですか。
50年先、100年先。この国は、この地球は、どうあるべきか。
資源がなくなるとか人口がこれだけ増えるという「予測」じゃなくて、あくまで未来。
変数が多過ぎて計算できないというのもあるだろう。
しかし、その時点で飽和状態なのだ。臨界点まで来た。
あとはパンクするか全般的に綻びていくしかない。
これだけの人間がいて明快な未来が思い描けないのは、
そしてそれが共有されていないのは、ただ単に未来がないからだ。
それが僕らに、向かって来ないのだ。


20世紀を超えて成熟した人類の意識はもはや若々しくない。
小手先のもの以外たいした成長は期待できない。
有人探索船が太陽系を出ることは当面なさそうだ。


予言とは当たらないものだ。
そんなのとは関係なく日々は惰性で続いて、惰性で終わる。


1999年にノストラダムスの予言が外れて、
今思うにあれは僕の人生における1つの節目だった。
社会人になった年ということもあって
超常現象的なことに対する興味がほぼなくなった。
そういうのあってもいいかも、だけど今他のことに興味があるから。
そんな感じ。それが僕の21世紀。


とりあえず今のところ、未練なし。