『Noam Chomsky ノーム・チョムスキー』

ふと、チョムスキーが気になって入門書的な本を買って読んでみた。
『Noam Chomsky ノーム・チョムスキー
http://www.amazon.co.jp/dp/4898150810/
リトルモアから出ていて、160ページほど。活字が大きくてすぐ読める。
講演、講演での質疑応答、インタビューから成っている。


巻末に鶴見俊輔の解説があって、
チョムスキーという人とこの本を的確に要約している。引用します。


「人間の活動の核に、言語を生成発展させる規則がある。
 その規則とともに働く最小の道徳原則がある」


「言語は、何かの法則に人をしばって、せまいところにおく。
 同時にその条件を使いこなすことをとおして、
 たえず新しいことを考える自由をあたえる」


「「テロリズム」とは、自分の国以外のものがとる行為についてかぶせる言葉だ」


3番目のことが、本書で繰り返し言われていることだ。
イスラエルイラクアフガニスタンコソボ南アフリカなどを引き合いに出して。
例えば、ものすごく短絡的に言えば
アメリカはイスラエルを軍事的に占領したテロリストだった、ということになる。
アメリカについて語られてこなかったこと、
国家が隠し通そうとしたことを様々な引用から明るみに出す。


人という生き物は他人の隠していた物事が「暴かれる」のを見るのが大好きだ。
知的であろうとなかろうと関係ない。つまるところ、ポルノグラフィ。
秘密にしていたことで聖性を保っていたことが、引き摺り下ろされる。
真実を語っているかどうかは、ここでは余り重要ではない。


日本でノホホンと暮らす僕がチョムスキーに対して持つ関心として
最初に来るのは、そんなようなものだ。
俗物。少し遅れて、ゾッとする。
いや、総論、チョムスキーの言ってることは正しいと直感的に思う。


「この人はどこか片寄ってるけど信ずるに値する」
チョムスキー教に入信しそうになるのは、僕が単純だからか。
でも、片寄るって何?
…「知識人」っていったい何なんでしょうね。


追記。
僕がノーム・チョムスキーの名前を知ったのは
ソシュールに代表される言語学に目を輝かせていた大学生の頃。
しかし、その「生成文法」という考え方には違和感を感じた。
言語は人間にとって生得的なものであるという。
構造主義にかぶれていた僕は
そんなバカな、言語は社会的関係性によって形作られるのだ、なんて思っていた。
(今だったら言語というものはそんな簡単なものではないと感じてますが)


チョムスキーの考えはやがて認知言語学へと発展していく。
1つの学派を形成し、言語学における大きな潮流となった。
そういう研究者がなぜ象牙の塔にこもらずに
自分の国をひたすらに批判し、今に到るまで様々な抗議活動を続けてきたのか。
不思議だった。それが鶴見俊輔の解説、
上に挙げた1番目を読んでなんとなくつながりが見えてきた。


もう1つ追記。本文から引用します。
チョムスキーがさらに聖書から引用したものです。
「偽善者とは、他人に対して自分が適用する基準を、
 自分自身に対しては適用しない人間である」
ここで言う偽善者とは誰のことか。分かりますよね?