残り2日

昨晩『ベスト・アメリカン・ミステリ 2009』を読んでいたらこんな一節があった。
N・J・エアーズ「錆の痕跡」より。
「雪片が舞い落ちる速度はおよそ時速1マイルなのよ、
 氷滴が付着して重さが増えない限りはね」


夜、テレビをつけたら所ジョージ明石家さんまの番組。
ダーツで行き先を決めるやつの特番。
その後、スペシャルゲストでチリ鉱山の落盤事故で救出されたリーダー。
何度も言ってきたことではあるが、僕はこの出来事が今年最も感慨深かった。
人として最も大事なことが語られているように思う。
編集されたVTRを見てウルウルしそうになった。


これまでの疲れがどっと出てきたのか、20時には眠くなる。
さすがに早いと耐える。ジョニ・ミッチェルの伝記を読み始める。
22時過ぎに眠る。

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8時に起こされる。昨晩から雪は降っていない。
昨晩の残りの鯛の頭の味噌汁。いいダシが出ている。


岩波文庫から出ているウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を1日がかりで読む。
前からずっと気になっていて、今回の帰省でようやく時間が取れた。
細切れの時間で読むのではなく、これは一気にいかないと、と思っていた。
読んでみてやはりそうだった。中断してはいけない。保留してはいけない。
というか途中で抜けて、再開することは不可。また頭から読みたくなる。


制約のある言語を不器用に使いこなして人は(哲学者は)命題から命題を生み出すだけ。
論理は論理でしかなく、多くを期待してはいけない。
これまで哲学で語られてきたことは嘘っぱちだ。
そもそも事実の総体としての世界という領域の全てを知らないのに、
語ることなどできないのだ。示すだけで精一杯なのだ。
言語で形作られる端がそのまま世界の端になる。
その外側にあるのが偶然であって、神秘である。
もちろんそこでは言葉を用いて思考する人間の数だけ、世界は存在することになる。
そしてその中は語ることのできないものだらけということになる。
我々は沈黙の中に生きていかざるを得ない。


近所の人からシャコをもらう。
その姿がグロテスクすぎて食べることができなくなる。


温泉に入って、戻ってくる。
夜、食べながらNHKのドキュメンタリー番組を見る。
国内の森が中国人たちによって買い占められているという。
地域の山林地主や酪農家の多くがバブル時代にデベロッパーに土地を売った。
リゾート施設になるという。しかしバブルが崩壊して土地は荒れ果てたまま。
そんな森が全国各地にある。
北海道砂川市の森は中国人実業家がオーナーのペーパーカンパニーによって購入された。
取材班は遂にその実業家と接触に成功。
香港の大企業の社長の息子であるという彼は土地を投資ではなく貯蓄と捉え、
何の目的もなく世界各地の土地を買い集めているのだという。
北海道の土地も開発されず、放置されるだけ。
地元住民にとってそれはいいことなのだろうか? いいわけがない。
彼は言う。「売ってたから買っただけだ。何が悪い?」
印象的だったのは、購入を手伝った会社役員の一言。
「彼は買った土地の近くにあったアイスクリーム屋が気に入っていたようです」


夜はジョニ・ミッチェルを聞きながら伝記を読んで過ごす。
休肝日。酒は飲まず。