昨日の続き。登場人物のこと。
やはり主要なキャラクターは3人以上必要だなと。
主人公:僕と、出会った女性と2人きりで最後まで展開するっていうのは論外。
えてしてこういうのって、閉じてしまうんですよね。
僕の中の足りない部分を補完してくれる便利な人物に過ぎなくて、
鏡に映った僕の分身でしかないというか。(つまるところ、他者ではない)
満ち足りた理想の自分が出来上がるのだから、そりゃ物事はうまくいくさ。
でも、そんなの僕以外の人が読んで面白いわけがない。
意見が合うこともある。楽しい気分になることもある。
光景や出来事を前にして感動を共有することもある。
しかし、他人とは分かり合えない。
僕という人間の凸凹した部分が全てぴったりはまる人間はありえない。
その合わない隙間をどう扱いたいかの感覚が似ている人がいるというだけのことだ。
そしてたまたま凸凹が部分的に合致したときに何が起きるかということ。
残りの箇所は全然合わない。
ゆえにドラマを生み出す「葛藤」が生まれる。摩擦というか。
主人公が思いを寄せる異性であるとか
「僕」以外にそういう人物が1人いたとして、その人との関係性を描くというとき、
さらにもう1人その関係性を揺さぶって変化のきっかけをもたらす人物が必要になる。
(この3者は人間である必要はなく、
動物や、役割が果たせるなら「物」や「事象」であっても構わない)
しかしこの3者は正三角形となって固定してはならない。
それはまた理想的な僕1人を描いていることと変わらなくなる。
重心が絶えず変化して形を変えていく、そのようなものであるべき。
また、2者を結んだ線分の途上の1点となることはあっても、
その状態が続いてはならない。それは結局2人しか描いていないことになる。
2人の間に入り込む・遠ざかる1人、という役回りを3者がそれぞれにこなす。
(3番目の人物だけがその役割を担うのではなく)
それが4番目の人物、5番目の人物へと連鎖していく。
ストーリーが展開して、物語が動いていくというのはそういうことだ。
役割って、
ストーリー上の具体的な設定(例:家族としての息子、職業としての医者)と
ストーリーを展開させる力点(例:思いがけず殺人を犯してしまう)
と両方あって、そもそも別なんですよね。
前者は静的だとしても、後者は動的になる。
転換や保留を与える人物は、繰り返しになるけど主人公や3番目の人物とは限らない。
(誤解を招きかねないけど、主人公や3番目の人物そのものが
入れ替わるわけではなく、その中で担う役割が絶えず変化するということ)
こういう話になってくると
その3番目(以後)の人物として誰を/何を登場させるか
というのが小説の妙味となるわけで。
難しいけど、ストーリーを組み立てる上で最も面白い箇所と言えるかもしれない。
例えば昨日の話の続きでいくと、
僕は思いを寄せる女性と逃避行を繰り広げることになるが
そこに旅先で出会った人物が絡んできて思わぬ展開へ・・・、となる。
あるいはストーリーの最初の方で紹介された、僕ないしは女性に深く関わる人物が
何らかの伏線により再登場するとか。
こんなふうに小説も構造というか、力学というか、型があるものなんですね。
型にはまってルーチンワークになってもつまらないけど。
でもまずは試行錯誤しながら身に付けたほうがいい。