イスラムというものに興味を持つ

イスラムというものに興味を持つ。
宗教というだけではなく、その文化や歴史を全般的に。
もうちょっと時間をかけてあれこれ読んでみてもいいなと思った。
手始めに講談社現代新書コーランの成り立ちの入門書を読んだ。
今日の朝から、井筒俊彦先生の岩波文庫イスラーム文化」を読み始めた。


このご時勢、「西洋か/東洋か」という二項対立からは
たいして有意義なものは生まれない。
その間にあって揺さぶるものとしてのイスラム存在はとてつもなく大きい。
奥深いミッシング・リンクが広がっている。


もちろん、原理主義とは何か? ってのも気になる。
何が「9.11」をもたらしたのか。
イスラム原理主義のテロリストが」ってのは答えになってないですよね。
だったらキリスト教原理主義とは?
ファンダメンタルに向かうものというのは、
個人に対して、共同体に対して、どのような力学が働いているのか。
根底に向かっているようでいて、ラディカルというのとは違う。


他に興味のあることとして、例えば、
イブン・バットゥータというような中世(14C)の旅行家は
中国にまで到達した。
それはイスラムを広げたかったのか、それともその外に出てみたかったのか。
つまり、イスラムがその全てなのか。そうではないのか。
など、など。


昨日そのコーランの入門書を読んでいたら
イスラム圏では1日の始まりは夜となると書かれていて。
そんな基本的なことすら今まで知らなかった。
ほんと何も知らない。
この地球上には何億ものイスラム教徒がいて、広大な領域を覆っているというのに。
得体が知れないから知らないのではなくて、知らないということが得体が知れない。


僕がこれまでに訪れた国の中で最も面白かったのは
やはりモロッコとドバイであって、
それはプリミティブな異文化体験としての
イスラムなるものとの出会い」というのが大きい。
初めて礼拝の場に居合わせたときに、遠くから聞こえてきたコーランを朗誦する声。
町中に聞こえるような、スピーカーからのくぐもった声。
あれはテープを再生していたのだろうか。
カサブランカで訪れた壮大なモスク。中を歩くときに感じた冷徹な空気。
ドバイの金曜日、日中の静まり返った町と
日が暮れ始めて礼拝が終わったのちに突如溢れ出したムスリムたち。
あれはまさに「体験」だった。


またなんか考えたら、続きを書きます。