ベルリン その10(2/6:ホロコースト記念碑)






6時半起き。前の晩寝たのが21時半だから、10時間寝たことになる。
外はまだ暗い。雨も降っている。
7時になって朝食を食べに行く。腹が減っていたのでたくさん食べる。
ソーセージがあったので2本。レベーペーストがあったのでパンに塗って食べる。
コーヒーをポットでもらって3杯か4杯飲む。紅茶も3杯。
『ブラック・マシン・ミュージック』を読みながら。
この日も日本人ばかりだった。40代の男性。50代と20代の母娘。
そして昨日も見かけた20代の女性2人組。
本を読んでるうちに男性と母娘は早々と去り、20代の女性2人組が大声で話し出す。
元気な方が合コンしてる夢を見たとかで、聞こえてくる方としてはだからなんだ、という。
僕も退散する。


8時を過ぎて、部屋を出る。
この日の予定はベルリンの中心部ミッテ地区。Friedrichstr. の駅を中心に。
傘を差すほどでもないが、雨が降っている。
日本から折り畳みの傘を持って来ればよかったと思う。
ダウンジャケットがグッショリと濡れる。


Zoologischer GartenからSバーンに乗る。
2日目ともなるとすっかり慣れている。
Friedrichstr. で下りる。
母に絵葉書を出そうと郵便局を探す。
地図にはこの駅にあると書いてあったが、駅の案内板を見ても見つからない。
駅の中をあちこち歩き回ってみる。確かにない。
informationのところには誰もいない。
そう言えばさっき、制服を着て巡回していた人たちがそうなのかもしれない。
駅には通りを渡って小さい方の建物もあるのだが、ま、いいかと思う。
帰りにそっちを当たってみよう。


駅を出てブランデンブルク門へ。
歩いて5分ほど。ウンター・リン・デンという有名な大通りに出て、すぐ。


トイレに行きたくなり、探していると公衆トイレがあったので利用する。
0.5ユーロを入れるとドアが開く。
中はなかなかきれいだった。飛行機のトイレを大きくしたような感じ。


ブランデンブルク門が見えてくる。
とても大きい。ギリシアの神殿のよう。建てられたのは1791年とのこと。
門の上には4頭立ての馬車に乗って槍?を手にした女神の像。
ナポレオンによって征服された際に一時パリに持ち去られたという。


1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した日に最も有名になったニュースの映像は
ここに集まって喜び合っている人たちの姿だろう。
大勢の市民が壁の上に立ち、国旗が振られ、花火があちこちで打ち上げられていた。


ここのinformationで最寄の郵便局を聞く。
「Friedrichstr. の駅にありますよ」
「そこから今、来たんだけど」
「大きい方の建物じゃなくて、小さい方の建物の中にあるわよ」
とのことだった。


ホロコースト記念碑へ。近くにある。
広場があって、そこに記念碑の群れがグリッド状に広がっている。
群れ。1つじゃなく、無数。
縦2メートル、横1メートルの棺のよう。しかし、どこにも名前など記載されていない。
文字は皆無。
ただ、正確な寸法で作られた、滑らかな、灰色の、コンクリートの直方体があるだけ。
その角は風化して丸まってることはなく今も手が切れるように鋭い。
広場の端にあるのは高さ数センチと平べったい。
それが中心に向かうにつれて高くなり(同時に地面も低くなり)、数メートルの高さへ。
際限なく分裂したモノリスを思い浮かべてほしい。
それらがしとしとと降る雨に濡れている。
その中を歩く。迷宮のよう。
縦横同じサイズの石碑の間を歩くのだから出口が見つからないということはない。
しかし、中心部に近づけば近づくほど「出られなくなる」ように思えてくる。
手を伸ばしても届かないほどの大きさになっていて
それらに取り囲まれると沈み込むような重苦しい雰囲気を体全体に感じる。


これはやられた、と思った。
記念碑にもいろいろあるが、具体的に嘆くユダヤ人の像を作成したり、
犠牲となった人々の無数の写真をコラージュするでもよかっただろう。
石碑を彫って言葉の限りに様々なことを語り尽くすでもよかっただろう。
でも、そうしなかった。
言葉も、具体的な像もない。ただ、抽象あるのみ。
そこでは、向かい合う人がそれぞれに意味を見出す。意味が形作られていく。
イスラム教の聖地メッカのカアバ宮殿がやはり、
中が空洞の立方体となっていることにとてもよく似ている。
形あるものとして現れた抽象は大きければ大きいほど
より多くのものを込められ、汲んでも汲んでも汲みつくせない器となる。
…石碑をいくつもいくつも通り過ぎる。
この世にこんなものがあるなんて。震撼させられた。
僕は降り止まない雨の中、1つ1つの石碑の間を彷徨いながら歩いた。
触ってみると、昨日の記録センターのベルリンの壁と同じぐらい、冷たかった。
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/berlin_view/01/
http://berlinhbf.exblog.jp/1090258/


地下が博物館になっているが、オープンは10時。
あと15分ほど。雨の中外で待つのも嫌なので通りに出て先に向かうことにした。
南の方に下って「壁の道」を見に行く。
途中でポツダム広場とソニーセンターが見えてくる。
戦前のポツダム広場は昨日訪れたアレクサンダー広場と並んで繁華街の中心地であったのだが、
大戦後アメリカ軍、イギリス軍、ソビエト軍の占領地域の境界となり、
1961年後は「壁」によって分断された。
それが今やベルリンで最もモダンな場所へと変貌を遂げたのではないか?
かつての歴史を語るものなど何もなさそうだ。
「壁」を模した観光客向けの記念撮影用の板がいくつか並んでいて、
そこに東ドイツ軍、西ドイツ軍、それぞれの制服を着た兵士が立っている。
(もちろん、本物の軍人ではないはず)