トイレに行きたくなって探す。駅の中にはなかった。
駅の反対側に出たらデパートがあって、そこで。2階に上がる。
トイレチップとして0.2ユーロ置いてくる。
地下鉄のU5ラインに乗って、Alexanderplatz から Magdalenenstr. へ。
7駅目。けっこうある。
ここまで来ると東ドイツ、東ベルリンの雰囲気が色濃く残っているだろうか?
この辺りは僕の持ってきた地図にはどれも載ってなくて
(三省堂で買った市内の大きな地図は旅行会社からもらった地図を拡大していただけだった)
ガイドブックには駅名とノルマネン通りというヒントしか載っていなかった。
もしかしたら見つけられない可能性がある。
11時のオープンまでに果たして間に合うだろうか?
駅に着く。ホームに付近の地図がないか探す。あった。
ノルマネン通りはあるだろうか…、あった。
そんなに遠くなかった。あとは出口の南北を間違えなければいいだろう。
地上に出る。ここが、典型的な東ベルリンとなるのか。
大通りに面したビルは骨組みは硬そうだが、隙間が多そうだった。
こっちだろう、西と思う方角へ歩いていく。
南北の小さな通りをいくつか越える。公園がある。
ノルマネン通りが意外とあっさり見つかった。
しかし、この通りのいったいどこに?
目の前には5・6階建ての横に大きなビルが建っている。
これだろうか? しかし、ガイドブックに載っている写真と概観が違う。
とりあえず通りの中に入ってみる。
何の変哲もない住宅街へ。
こういうところにシュタージ(秘密警察)の本部があったとは。
付近の住民も生きた心地がしなかったのでは…
基本的に1戸建ての家はなくて、どれも集合住宅。
壁は白や茶色、クリーム色。年月を経てどことなくくすんでいる。屋根は赤が多い。
通りのあちこちに車が停まっている。
ケーキ屋、花屋、雑貨屋があった。
通りの端まで来て、見当たらず。引き返す。南へ。
東西に伸びた大きな通りを渡る。
反対側には特に集合住宅はなし。スタジアムがあった。
しかし月曜の午前、試合が行なわれているわけがない。
通りの突き当たりに小さな教会があった。
ここでノルマネン通りは終わり。
やはり見つからず…
もしかしてこれは最初の勘の通り、あの大きな建物の中ではないのか?
行ってみる。正門付近まで来ると薬局があった。どうもここは総合病院であるらしい。
デパートで見かけるフロアガイドのようなものは診療科の案内ではないか。
うーむと思いながらキョロキョロしていると、ドイツ語で「シュタージ博物館→」とあった。
この建物群の中であるようだ。見つかった。中に入っていく。
医者や看護師、出入りの業者らしき人たちが建物から出ては別の建物に消えていく。
奥へ。ああ、これがガイドブックに載っていた建物だろうか…、というのを遂に見つける。
しかし全面的にシートで覆われ、工事中。一介の観光客は入れそうになかった。
ここまで来たのに…
インビスがあったのでコーヒーでも飲んで博物館が閉まっているか聞くか、
と振り向いた瞬間、そこにシュタージ博物館があった。
移転したのかガイドブックの写真が違うのか。
2階建ての小さな建物だった。
それにしても、当時は病院の中に秘密警察を隠していたのか…
時計を見ると10時45分。まだ時間がある。
さっき見かけた公園で暇をつぶすことにする。通りを渡る。
住宅街の間にある、普通の公園。石畳の小道を歩く。他に誰もいない。
真冬なので木々のほとんどが葉を落としていて、それが寒々しさを感じさせる。
ベンチにも人影がない。もう何十年と人が訪れてないかのような。
しかし小鳥の鳴き声が聞こえてきて、そこに救いのようなものがある。
端まで行って、外に出て、さっき歩いたノルマネン通りへ。
そしてシュタージ博物館に戻ってくる。11時になるのを待って中に入る。
入場料は不要なようだ。何も言われなかった。
付近の建物に番号を付けた地図を見る。
秘密警察はこの建物だけではなくて、
周りの今は病院として利用されている建物全部がそうだったことを知る。
1階は正直何があったのか覚えていない。
特に目を引くものはなくて、
勲章だとかマルクス・エンゲルス・レーニンの3人が並んだ絵だとか。
2階に上がる。
喫茶室の初老の女性と博物館スタッフの初老の男性2人が話し込んで笑いあっていた。
普段、暇なんだろうな…
2階は1959年から壁崩壊までの1989年の30年間、
秘密警察のトップにいたエーリヒ・ミールケの執務室が再現されていた。
よく磨かれた机と青い布張りの椅子、電話が2台。
机の脇にボタンのたくさん並んだ、なんらかの機械と1つになった電話機。
他に会議用の机と椅子が10脚。
ただそれだけ。この何もなさが逆に怖い。
その奥には、盗聴器の数々。
テープレコーダー、腕時計に始まり、折り畳みの傘、水筒、携帯用の石油タンク、切り株…
奥の部屋にはなぜか東ドイツにおけるエホバの証人の歴史。
廊下には地下出版用の印刷機。
(ロシア語で「samizdat」とあったから、旧ソ連のか?)
あっさりとした展示ですぐ見終わる。
僕の他にはカップルが1組いただけ。
さて出るか、と展示室を出て喫茶室の前を通り掛かると
植木に霧吹きで水を与えていた先ほどの初老の女性が「ヴィデオ見る?」と話しかけてくる。
せっかくだから見ていくか。時間はあるわけだし。
モニターの前の席に座る。
DVDではなく、ハードディスクに録画したものだった。
フォルダがたくさんあって、どこにあるのかすぐに見つからない。
おばあちゃんは横着してカウンターの中から身を乗り出して真横のモニターにリモコンを向ける。
「あ、上に行き過ぎた」「今度は下に」と何度もやり直す。
(僕個人は「ミックジャガー・イン・ベルリン」のフォルダがとても気になった)
ようやく始まる。
ただで見るのも悪いので、コーヒーを頼む。1.2ユーロ。
ビスケットがサービスで付いてきた。
こんな内容だった。
実話と思われる。ベルリンの壁崩壊の4年前。
身重の妻を抱えた若者が秘密警察に呼ばれる。
先日の西ドイツへの亡命の申請について疑わしい点があるらしい。
というか端的に言ってスパイ容疑。
西側に住む叔父への手紙に書かれたサッカーチームへの言及。
叔父がひいきにしているチームについて、若者が思っていたチームと、
秘密警察が調べて判明したチームとが食い違う。
身重の妻の両親は西側にいるのだが、その写真のやり取りが云々。などなど。
秘密警察の捜査官と若者が2人きりで夜遅くになるまで話し合う。
時には険悪なムードが生まれ、時には親しみが生まれ。
若者は絶えず自らと妻の正しさを訴え、亡命を求める。妥協しようとしない。
それが災いして第99条項に違反、スパイとされ、18ヶ月の刑務所入りとなる。
見ている間、おばあちゃんはのんびりと霧吹きで植物に水をあげ続けていた。
見終わってコーヒーカップをカウンターに下げて、ありがとうと言うと
おばあちゃんはとても喜んだ。
ここでのやりとりが僕個人としてはここベルリンで最も人間的だったなあと思う。
それがシュタージの跡地だったというのは不思議なものだ。
パンフレットをいくつかもらって帰る。
秘密警察の刑務所もまた、同じように今は博物館のようになって見学可能だという。
しかし事前に予約が必要でガイドが着くとのこと。
ここからは遠いようなので諦める。
『善き人のためのソナタ』はシュタージを扱っていたんだったか。
日本に帰ったらすぐ見てみよう、と思った。