3日目

8時半に起きる。
Twitterを眺める。僕が眠っている間に、一線が越えられたように思う。
それまで概ね一枚岩として突き進んできたのが、ばらけはじめたというか。
意見や主張の食いちがいによる摩擦が
反応ではなく人格のレベルで語られるようになった。
例えば、結局のところ気になることは皆即座にRTすべきなのか。
それとも事実関係を調べて、以前の文脈を辿って、取捨選択をすべきなのか。
何をしたところで思いがけず誰かの気に触るということは
今回の災害に関係なくごく普通に起こりえることだけど、
その辺り非常時だとお互い譲り合っていたのが、
数日続くうちに少しずつ慣れてきて、ささくれ立って。
ひとつにまとまっていたものが
それぞれ異なる意見や主張を放って衝突が起こるのは、
その集団が有機的になっているのではなくて無機的になっているということだ。
個々のパーツの間で調節ができなくなっている。その必要を感じなくなっている。
全体が硬直化へと向かう。惰性で物事が続くようになる。
その流れを変えるにはよほど強い声や力、意思をもった人でなければ難しくなる。
被災地の外側にいる僕らはそれまでの日常生活に戻りつつあるのだ。
というか物質的にはまだだとしても、精神的には既に戻ってしまっている。
それまでの自分に、戻ってしまっている。


コンビニに行ったらまだスカスカだけど、弁当の類が補充されていた。
東京メトロのサイトを見たら全線「現在、平常どおり運転しています」
明日は普通に出社だろう。
イベント系が当面延期というか自粛となるけど、仕事する分には影響がない。


ヤシマ作戦はまだしばらく続くというか、
14日以後計画停電を実施すると東京電力から発表がなされた。
23区は対象外となるかもしれないとのこと。
渋谷のスクリーンは消されているのだろうか? というのが気になった。


Twitterを見てて気になったのが、
茨城も救ってくれという声と、宮古が先だという声。
どっちが正しいということもなく、
これこそ政府には適切な対応を速やかに行なってほしいとしか言いようがない。
誰だって自分のいるところ、あるいは関係するところを救ってほしいと思う。
大事なのは見落とされることなく、的確な報告がなされるかどうか。
あとは、分析と評価と判断の問題だ。


救援物資は送らないでください、というのをよく見かけた。
「ないよりましだろ」的発想は完全に間違っていて、
仕分けたりあるいはダメになったのを処分するのに時間が取られるだけ。
当面は寄付だけのほうが嬉しいし、復興が始まったときに訪れて
その地方の名産品を買ったり味わったりしてもらったほうがよほど助かると。
青森県は個人の救援物資は受け取らないことにしたようだ。


献血だって何かしなきゃ今しなきゃってんで我先に行きがちだけど、
実際に大量に必要となるのは数週間後。
そのときには献血したくても一定期間開けなきゃいけないから献血できない。
今月末ぐらいに献血するのがベターじゃないかと誰かが呟いていた。


微妙な気持ちになったのは、千羽鶴はいらないという話。
手を動かして、時間がかかって、鶴は折られたけどそれが実際に何の役に立つのかと。
思いは思いだけでよく、それを形にされても扱いに困る。
じゃまだと捨てるわけにもいかない…


なんてことを今書いていたときにふと思ったのが、
IT業界だと「このプロジェクト中止(ないしは当面延期)です」ってのが
明日からジワジワと出てきて、仕事にあぶれたりするのではないか。
自分の部門のプロジェクトを思い出してみて、
直接的であれ、間接的であれ、復興には関係なさそうなものばかり。
現状維持で新サービス導入は控える。
計画停電による生産性低下も絡んで。


などなど。
明日から月曜。世の中はどうなるのか。
未曾有の危機の真っ只中にあるのか、それともいつも通りの日常生活なのか。


Twitterには地震に関係することしか呟けなくなる。
キャラメルコーンを食べてたらピーナッツが全く入っていなくてショック」
みたいなことは不謹慎となりそう。(ま、地震の前からスルーされてたろうけど)
表現の自由というものを僕は信じてないけど、
かといってそれまでと違って統制がかかってしまうというのもちょっと怖い。
正論だけが流れる。それが全てだと思う人もいる。息抜きもできない。
どっかで破裂しそうになって、裏Twitterみたいなのができるのかもね。


あと、気付いてゾッとしたのが、
家族や友人の消息が分かって嬉しいですというのがよくRTされるけど、
その逆は一切目にしたことがない。
普通に考えれば、悲しい出来事に遭った人はTwitterどころじゃないわけで。
あるいはネットが使える環境にそもそもいない。
たいがいはそういうことなんだろうけど
やっぱ現時点でのTwitterは前向きな情報しか流れないように
暗黙のルールが自然にできあがってるんだなと。
それがいいことなのかどうなのか、Twitterの利点なのか限界なのか
今の僕にはよく分からず。


Twitterを見ていると、
今回の地震のこと以外何も考えちゃいけない、それが善意だ
と言われてるみたいで。
3日目にして、ちょっと分からなくなってくる。


身内に死傷者はいない。東京都心に住んでいる。
そのことが責められているようでもある。
対岸の火事。そう思っているのだ。