最近なぜか昨年2月・3月に大阪に住んでいたときのことを思い出す。
あれは楽しかったなあという思いと、だけど楽しみきれなかったなあという思いと。
2月は新システムのサービスイン直前で仕事が忙しく、東京と行ったり来たり。
3月は編集学校の「離」でそれどころじゃなかった。
(後半は送別会の類がたくさんあったのに、ほぼ全て断らざるをえなかった)
京阪線、森小路駅のレオパレスを借りて住む。何もないところだった。
駅前にコンビニすらない。スーパーが1軒あるだけ。商店街も小さい。
時々、駅の周りを当てもなく歩いたり、隣の駅から歩いてみたりした。
「ああ、ここは関西なのだなあ」と思うこともないような普通の日本の住宅街だった。
コンビニがあって、チェーン店の居酒屋があって、国道沿いには大型店舗があって。
部屋の近くに焼きたてのパン屋があって
土日はよくそこで買って食べたこと。
駅前に立ち飲みの串カツ屋があって
一度は入ろうと思っているうちにつぶれてしまったこと。
自販機で500のコーラをよく買ってたんだけど
なぜか当たりがよく出たのは関西だから? と思ったこと。
そういったことの一つ一つが無性に懐かしい。
この人生でもう一度ぐらい、大阪に部屋を借りて1ヶ月か2ヶ月住んでみたい。
それが今の僕にとってささやかな夢だったりする。
ささやかな変身願望の現われ。別の人生を、かりそめの人生をそこで過ごす。
三代目魚武濱田成夫が10年以上前、
ぴあの連載で住所不定、毎月引っ越すというのをやっていた。
あれに憧れる。身一つ、荷物もあるんだかないんだか。
なんかその辺にあったのをそのまま持ってきただけ。
あてもなく、思い立ったらまた別の場所へとフラリ、ブラリ。
そこで知り合った人たち、紹介された人たちの世話になる。
そんなんで全国を暮らしていけたらもう言うことはないね。
帰る場所なんてなくて、どこだろうとそこがいつだって自分の居場所になる。
都内であったり、博多であったり、郡山であったり。
レオパレスを見かけるたびにそこに住みたくなってしまう。
そこに仮として住んでいる自分を想像する。
何もないガランとした部屋で、布団と机と本と、わずかばかり荷物があって。
荻窪駅前の商店街にレオパレスがあって、通りがかるたびにムズムズする。
夏のボーナスが出たら1ヶ月借りてみようかと日々夢想する。
そして自分の部屋との間を毎日意味もなく行き来する。
缶ビールと焼き鳥を買って、レオパレスの方でプロ野球の中継を見る。
眠くなったら眠る。朝起きてアパートに戻って着替えて、会社に出かける。
そんな日々。何が生まれるわけでもないけど、それでいい。