あれから40日以上が経過した。依然として余震が続く。
それが当たり前のことになって、これからもずっと続くかのようだ。
そんなとき、「もう後戻りはできないのだ」と思う。
初めて会った人や久しぶりに会った人とは
「あの日どうだった?」という話を今でもする。
どこからどこまで歩いて、何時間かかったというようなこと。
街を歩くという体験がどういうものなのかということ。
今日床屋で髪を切っていたら、やはりその話になった。
若い母親が道端にうずくまって、泣いていたのだという。
どうしていいのかわからなくなった。
乳母車に子供を残して、1人だけうずくまる。
母親なら、なぜその子を抱きかかえてあげないのか。
自分の周りでは何かとてつもないことが起きているという気配を感じつつも
そのとき抱きしめられなかったという記憶が心の奥底に残る。
それが後々、どんな影響を与えるか。
そういう話を聞きつつ、僕は別なことを同時に考えていた。
地震のあとでオフィスの外に出て
まだ明るいうちに皇居の辺りから歩いて帰ったとき、
周りに泣いている人なんて1人もいなかったように思う。
携帯もつながらず、いったい何が起きているのか分からずに
半ばきょとんとしたまま淡々と歩く。歩き続ける。
感情らしい感情はサーッと遠くに引いていたような。
もし泣き出すとしたら、自分の住んでいる町に帰り着いたときではないか。
安心できた瞬間、涙が止まらなくなる。
あるいは家の玄関を開けたとき。家族と再会したとき。
そういう人は、多いのではないか。
もう1つ別に聞いた話。
津波の時には、他人を救うことなんて考えずに自力で逃げろという。
自分で逃げられないものは諦めろ。
動けないお年寄りを助けて自分は波に攫われる。
それは美談かもしれないが、その後のことを考えるとどうなのか。
復興のときに必要な若い力が失われて、介護の必要なお年寄りが残される。
それはいったい何のためなのか?
その人がデイサービスのケアマネージャーに相談したとき、
やはりお年寄りではなく自分を助けることを優先すべきだと言われたとのこと。
はっきり、見捨てなさいと。自分の親であろうと。
一見残酷な話だけど、僕もそれが正しいと思った。
そして、ぞっとした。
天災とはそういうものなのだ。映画でもドラマでもない。
迷ってはいけない。
40日が400日になり、その頃の日本はいったいどうなっているのか。
見当もつかない。
余震が永遠に続いているんじゃないか。
その呪縛から逃れられないのではないか。
そんな気がしてならない。