ロシア的な消息

昨日従兄弟から数年ぶりに携帯に電話がかかってきて
仕事でロシア語の書類を訳せる人を探しているんだけど、
時間があるならやってくれないかと頼まれた。
聞くと日本語からロシア語へ。無理。
大学を出てもう10年以上、日常生活に使う機会はなく、完全に錆付いてしまっている。
逆で、かつ、要約するならなんとかなるかもしれないけど。
仕事で必要となると怖い。
シドロモドロになって断った。


大学で学んだ語学って何なんだろうなあと思う。
話せる・話せないで言ったらそりゃ役には立ってない。
でも、世の中のいろんな物事を知る・学ぶきっかけにはなった。
ものすごくなった。
それだけでもう十分なんじゃないかな。
かかった時間とコストを考えると
「何言ってんだ!」とお叱りになる人がいるかもしれないが。
というか、いてしかるべきだと思うが。


僕の場合、津軽から地続きのシベリアの大地、ロシア・旧ソ連という国が
僕という人間の根っこのどこかに薄くとも敷き詰められた。
ドイツでもなく、フランスでもない。
「ロシア的な消息」「ロシア的な存在の作法」とでも呼ぶべきものが
心の片隅で絶えず気になっている。
バフチンであり、ゴーゴリであり、ロシア語で書いた時代のナボコフであり。
1994年のモスクワやサンクト・ペテルブルクの街並みであり、
チェイルノブイリや「東側」社会主義国家という異質なものへの興味であり。
それはあるときには『オリガ・モリソヴナの反語法』となり、
あるときには純度の高いウォッカを探すということになる。
ユーモアさえも凍てついた、灰色の作法。その力学。


10数年前に1度訪れたきり。
物理的にはどんどん遠ざかっていく。記憶は薄れる。
なのにつながりを持ちたいという気持ちは途絶えることはない。


プーチン首相がまた大統領に返り咲くといううわさがあったり。
カスペルスキー創始者の息子が誘拐されて莫大な身代金を要求されたり。
バランスの崩れたまま西欧化して、かつてのロシアではなくなった。
で、あるにしても。


そんなこともあって、この連休はまずカネフスキーを見直して…
などと考える。
そしてレモンを絞ってウォッカを飲もう。