「ロックンロールは鳴りやまないっ」

恥ずかしながら2/25(金)のHMV企画「ももクロとかまってちゃん」を見て以来、
iPhoneに「ロックンロールは鳴りやまないっ」を入れてそればかり聞いてた。
最近だと Going Steady相対性理論以来のはまりっぷり。
(←分かりやすいですね)


しかし、『劇場版かまってちゃん』は結局見に行けず。
4月、忙しくなったりタイミングが合わず。
ゴールデンウィークに見ようかと思ったら既にレイトショーになっていた。


 ※ナタリーを見たら
 「大ヒット御礼!劇場版かまってちゃんサントラ配信決定」とあった。
 「ロックンロールは鳴りやまないっ」など7曲がリマスターされた音源。
  http://natalie.mu/music/news/48835


好きなんだけど、聞くたびに複雑な気持ちになる。
ロックは反抗の音楽である。みじめな現実から一点突破することを夢みる。
そこまではいい。
しかし、非リア充の逆襲と矮小化されると、えぇー? と思う。
だけど、奥底に非リア充な自分が根っことしてまとわりついているようで、
後ろめたくて、そんなこんなで
また今日も「ロックンロールは鳴りやまないっ」を聞いてしまう。


ロックはどんどん小さく、遠くなっていく。
個の寄せ集めがそれ以上のものにならなくなって、個そのものが幻想となった。
60年代や70年代の熱狂はない。いや、元々なかったのか?
断片的な記憶や記録を元にただただ、過去を神話化していくだけなのか。
そんな気分になりながら、それでも「ロックンロールは…」と呟く。
ただそれだけの日々。そんな2011年。


新しいフォーマットはなく、過去との距離感の取り方だけに新しさがあるのか。
突然変異が生まれてのもそれはロックの枠組みの中だけ。
やがて肥大したロックの中に呑み込まれていく。
Radioheadの新作を聞いたとき、やはりそんなことを思った。
The Strokesの新作も、Foo Fightersの新作もかっこよかった。いい音が鳴っていた。
だけど、満たされない。
ただただ茫漠たる空洞を感じる。薄暗い暗闇の中を一人きり惰性で歩く。
誰かに出会うこともない。どこにたどり着くのかも分からない。
僕の中でもはやそんなものになってしまっている。


神聖かまってちゃんについては
「3年ぶり2回目の紅白出場です!」
みたいな展開だけはやめてほしい。