大手町、丸の内

朝晩、東京駅と神保町とを往復する。
大手町、丸の内。
目につくのはビジネスマンではなく(僕の視界から消えている)、
高層ビルの工事現場で働くガテン系の人たちと市民ランナーたち。


走る彼ら・彼女たちには2種類あって、
皇居の周りを時計回りに走るか、反時計回りに走るか。
どういう違いがあるのだろう。
自分にとってどちらがしっくり来るかを基準に
初めて走った日に選んだ方でそのままずっと走り続ける。というのが普通か。
日によって時計回り・反時計回り、走り分けてます
という人がいたら相当器用だと思う。
以前、右脳型・左脳型について書いたけど、そことも関係しそうで。
左脳型の人は左回りだったりするんじゃないか?
(右脳型の人は左右こだわりなく走れそうな気がする)


というか走る人たちってのは一度コースを決めたらそれを日々繰り返して、
その中で調子のよしあしを計るのではないか。
それはその人の体にしか感じられないささやかな徴候かもしれないし、
この角に差し掛かったときのラップタイムというようなものかもしれない。


中上健次言うところの乗馬ズボン(ニッカボッカ)にヘルメットを抱えた
ガテン系の人たちってのは不思議なもので、
工事現場の入り口に吸い込まれていく、入り口から出て行く姿は良く見かけるけど、
出て行った先、しばらくすると街の中にまぎれて消えてしまう。
あのダボダボとした姿、すぐ目につきそうなものだけど。


ちなみに乗馬ズボンの膝下がやけに広がってるのは
そうした方が作業時にかがみやすいからとのこと。
しかしあれだけ膨らませる必要はなく、
若い人なんかで時々必要以上にブワッとなってるのは
高校の制服で短ラン・ボンタンの奇抜さを競うようなものか。


大手町、丸の内は日々あちこちで高層ビルの建築が続けられている。
見上げるような高さのモダンな建築物が精密な模型のように少しずつ形を成していく。
そのすぐ横を市民ランナーたちが駆け抜ける。
僕を含めて無味乾燥なサラリーマンたちは通過するだけ。
背景に溶け込んでしまっている。
個々の人間が主役となることはないかのよう。
何かとてつもなく大きな、無言の力をいつも歩いているときに感じる。


東京の中枢、頭脳、心臓。
かつて江戸時代にはその土地固有の力の流れの向き(風水とも言う)によって
中心地として定められたのであるが、
今やそこに人工的な継ぎ足しが何層も積み重なって
得体の知れない巨大なものになっている。超生命体。
市民ランナーもガテン系の人たちも僕らスーツ姿の会社員も
皆そのミクロなパーツの集合体に過ぎない。
赤血球が血管を流れ、白血球が傷口を修復するかのようである。