仮面というもの

能面に代表されるような、仮面というものについて関心をもつ。
世界各地にあって例えばシャーマンの儀式に用いられる。
神であるとか、自分ではないものとなるために
昔の人は一時的に名前を変えたり、顔を変えたりした。
(それが今、アバターなどとなる)


別人になるというとき、内面ではなくて外見を変えるんですね。
逆に、それだけで変ってしまうものとされた。
外に現れる物事こそ本質とされたのか、
それともそういう暗黙のルールを皆で取り持ったのか。


後者は仮面舞踏会がそうですよね。
目を覆ってるだけのような、飾り程度の仮面をつける。
それが誰なのか皆、分かってる。
でも、あえて口に出さない。


あるいは、それが単なる隣人ではなく精霊や神であるとか
より高次の存在であって、内面というものが計り知れないから
イメージとして想像のつく外見だけを扱ったのか。


いや、やはり「顔」なのだ。
顔にその人の全てが代表される。象徴となる。
その一点だけを挿げ替えれば別人格だと看做される。


考えていて興味深いのは、ものによっては仮面に目が開いているところ。
そりゃそうじゃないか、でないとかぶってると何も見えないじゃないか。
問題としたいのはそちら側じゃなくて、反対側。
周りの人からすればかぶってる人の両目、視線が見えるってことですよね。
目は口ほどにものを言い、本質を語るじゃないですか。
そこのところは覆い隠さない。隠せない。見て見ぬフリをする。


だからこそ、シャーマンはトランス状態に陥って
その人自身の普段の意識というものを消してしまうのか。
その目には何も映らないようにする。
見えている、しかし、見ない。
聞こえている、しかし、聞かない。


博物館などで世界各地の仮面が壁にずらっと並べて掛けられているのを見ると
なんだかぞっとする。
死人の顔のようであるし、それはつまり両目の開いた箇所が虚ろであるし。
仮面の裏側全体が虚ろになっていると
そこにその仮面を見た全ての人間の思念が吸い取られて
まとわりついているように思う。


社会の中に生きるということは、様々な役割や属性を切り替えていくということは
目に見えない仮面をかぶるようなものであるとはよく言われますが。
それもまたどことなくなんとなく、ぞっとする。