「タイトル未定」(1.基本形)

金曜の夜、仕事から帰って来て着替え始める。
子供たちがすぐにもまとわりついてきた。
娘は「よんで」と自分よりも大きな絵本を床に引きずっているし、
息子は先日のプラレール博で買った「はやぶさ」を握り締めている。
汗をかいた半袖のYシャツから、まっさらなポロシャツへ。
息子を抱きかかえつつ洗面所に入って、脱衣カゴに放り投げる。
トテトテトテと娘がついてくる。
スリッパをだらしなく脱ぎ捨てようとするので軽く叱る。
そのまま三人でキッチンへ。
冷蔵庫を開ける。紙パックのリンゴジュースを取り出して
冷やしておいたグラスに注いで飲む。二人にも一口ずつ飲ませる。
妻はダイニングのテーブルでノートPCに向かっている。
保育所当番で早く帰った分、仕事を持ち帰らないといけない。
このところ夜はパワーポイントで企画書を書いている。
添い寝して子供たちを寝かしつけるとそのまま明け方まで。
月曜には完成していないとまずいらしい。
バインダーの資料があちこちに広がっている。
何について書いているのかは知らない。
このままだと晩飯を作るのはずっと後だろう。


テレビをつけて、小さな音量にして、クマのプーさんのDVDをセットする。
子供たちを二人並んでソファーに座らせる。
すぐにも髪の毛を引っ張り合うが、そのままにしておく。
僕は僕でテーブルの反対端に座って
ネットブックを立ち上げ、Twitterをざっと流した後でFacebookを開く。
ニュースフィードをなんとはなしに眺める。
友人たちもどうってことのない金曜の夜を過ごしている。
都心で飲んでるか、それとも残業をしているか。
そんな中でナツミさんが「今日は飲みたいなあ」と書いてるのを見つける。
「僕もそんな気分。嫁、仕事してるし」とコメントを書き込む。
左下の「チャット可能な友達」のところにナツミさんの顔が。
向こうもPCの前にいるのか。旧式のiBookを使っていたのを思い出す。
保育所で知り合ったママ友。僕よりも二つ年下だ。
持ち回りのホームパーティーで顔を合わせて、
そうしてるうちに子供を連れてお互いの家で何度か会うようになった。
軽く飲んだり食べたりしながら、子育てのことで意見交換する。
郊外にできたショッピングモールのこととか、たわいのないことを話す。


チャットが届いて、息子と娘を連れて「遊びに来ない?」という。
「いいの?」「いいよ。はじめて、ピザをじぶんでつくってみたんだよね」
「じゃあ、ビール買っていきます」
ネットブックを閉じる。
妻にナツミさんの家に言って来るよと声を掛ける。
疲れた顔を一瞬上げて、「うん。よろしく伝えといて」
そして田舎から届いたトマトとキュウリをもってってと。
子供たちに着替えるように言って、タンスを開けて服を選ぶ。
娘がどこ? と聞くので「ナオトくんのとこだよ」と言うと「わー」と喜ぶ。
僕は短パンだったのを灰色のスラックスに履きかえる。同じ色の靴下を履く。
野菜室を開けて、買い置きの無地の白い紙袋の一つにトマトを
もう一つにキュウリを少しずつ入れて、子供たちに抱えさせて外に出る。
梅雨空の曇り空の下、風が涼しくて、
マンションのエレベーターを使わず、非常階段を下りていく。


ナツミさんの家は歩いて20分ほど。駅の反対側にある。
バスには乗らず、そのまま歩いていく。
紙袋は途中から僕が両手に持つ。娘と息子の手を握らせて先に行かせる。
三人でシリトリをする。キリのいいところで僕が負ける。
「パパシリトリダメナンダカラ」と娘が何度も繰り返す。
駅の階段を上って、改札の横を通って、もう一つの出口へ。
大勢の人たちが現れては消えていく。
駅前の商店街を抜けて、また住宅街へ。
娘にナオトくんのことを聞く。最近どうしてるか。
娘は一生懸命になってあれこれ話そうとするが、ひどくとりとめがない。
僕は適当に相槌を打つ。息子は息子で自分も話そうとする。
近くまで来て、コンビ二でロングの缶ビール、六本パックを買う。
それと子供たち用にブドウのジュース。


ナツミさんたちの住んでいるマンションに到着する。開けてもらう。
エレベーターで上の階へ。野菜の袋を二人に持たせる。
呼び鈴を鳴らすとドタドタ歩く音がして、ドアがゆっくりと開く。
ナオト君とその背後に妹のミヨノちゃん。
玄関で子供たち同士が挨拶を交わしてるところに、奥からナツミさんが来る。
エプロンをしている。その陰に隠れているけれど、
胸元が大きく開いたサマーニットを着ている。
ある日のホームパーティーのことを思い出す。日本酒を飲んでいた。
子供たちは別な部屋にいて、エッチ系の話になった。「最近いつしたか?」
僕は妻がその場にいなかったので正直に「三ヶ月してない」と言って、
恥ずかしそうに笑った。みな、「オヤオヤ」という表情を浮かべた。
ナツミさんはもっと恥ずかしそうに、小声で「今朝!」と。
そのときのはにかむような笑顔が、重なる。


中に入る。ダイニングでは旦那が既に飲み始めていて、
「や、どーも」と言いながらそこに六本パックを置く。
さっそく開けて、ナツミさんの分と合わせて三本をテーブルの上に残して
あとはナツミさんに渡す。冷蔵庫の中に仕舞う。旦那と乾杯をする。
皿の上に半分残ったピザを切り分けてもらって、息子と娘に食べさせる。
ウェットティッシュで頻繁に指と口元を拭かせる。その合間に自分も食べる。
小さく千切った何切れかを食べると、子供たちは満足したようだ。
リビングでボードゲームを始めた。
ナツミさんはキッチンでピザを焼いている。
旦那と世間話をする。景気がどうこうとか、震災の思わぬ影響だとか。
時々ナツミさんが野菜スティックや茹でたてのポテトサラダを運んでくる。
旦那と話しているだけで、缶ビールが二本開く。
なぜか今日の僕はペースが早い。なのに、酔わない。
一通り料理を作り終えて、エプロンを脱いだナツミさんが加わる。
改めて三人で乾杯をする。
時間が過ぎていく。ナツミさんばかりが話す。


酔っ払った旦那が立ち上がって、トイレへと出て行った。
僕とナツミさんは向かい合って座っていて、そこで会話が途切れた。
二人して何も言わない。見詰め合うでもなく、缶ビールを口に運んだり、
温め直したピザを手に取ったり。
そのとき、旦那の箸が二本とも何かの弾みに床に落ちて転がった。
「あっ」と言って二人して立ち上がる。
その拍子に見つめあう。
ナツミさんは胸元の開いた服を着ている。
そのことにナツミさんが気付く。
ナツミさんは恥ずかしそうに僕に背を向けてしゃがみこみ、箸を拾い上げた。
そしてそのままキッチンへとその箸を持っていった。
トイレから出てきた旦那はキッチンに入っていった。
二人は何かを話した。その囁くような声が聞こえた。
ナツミさんは旦那に対して、腹を立てているようだった。


その後、リビングで子供たちと一緒になってテレビを少し見て、
21時を過ぎているのに気付くと家に帰ることにした。
旦那はソファーで眠り込んでいる。
眠そうにしている子供たちを立ち上がらせて、玄関で靴を履かせる。
外に出ると、僕は「さよなら」のつもりで手を振った。
そこにナツミさんは「楽しかったよ」と言ってそっと手を合せた。
そして僕の手のひらを軽く包み込むようにした。
その手を離す。僕のことを見つめて、すぐにも目をそらす。
子供たちが突然廊下を駆け出して、僕は慌ててその後を追った。
振り返るとナツミさんが立っていた。
子供たちに笑顔で手を振っていた。


エレベーターが来る。下りていく。
マンションの出口をくぐって、歩き出す。
息子をおんぶするとすぐにも眠りだした。娘が前を歩く。
妻が仕事をしている家へと僕は向かう。
自分だけ飲んで、と愚痴を言われるだろう。
子供を風呂に入れて、寝かしつけて。
そして土曜になる。
土曜は四人でショッピングモールへと買い物に出かけることになっている。
いつものように。いつもそうしてきたように。
妻は息子と娘の手を握る。
僕は一人、その後をついて行く。