どんよりとした善意

なんだかどんよりした気分になったこと。
皆さんに共有するのもなんですが。


先月だったか。
銀行でお金を下ろそうとしたら25日か30日の給料日でATMに行列ができていた。
並んで待っていたら後ろから口論の声が。
行列をATMコーナーの中で折り返すべきか、それとも店内に伸ばすべきか。
僕の背後の客と、警備員と。
どっちがどっちの主張だったかは忘れた。それぐらいどうでもいいことだった。
警備員は店の決まりなので従ってもらえますか、しか言えないし、
客の方はなぜ従わなければいけないのか理由を言え、
私の主張している案の方がいいじゃないか、とそればかり。
それで話は何も進まず、最後は
「これだから世の中はよくならないんだ」と吐き捨てて終わり。
その後もブツブツ言い続ける。


えぇー? 
むしろ、あなたのような人がいるから世の中がよくならないんだよ、と思う。
なんで自分の価値観が絶対なわけ?
列をどこで折り曲げるかなんてどうだっていいことだし、
銀行の提供するサービスを利用するのだから
銀行のルールに従えばいいじゃないか。
そんなとこでイチイチ衝突して、おかしな正義を振りかざさなくたって。

    • -

先日あるところで話してて話題になったのが、
サービスを無料・無償で提供すると利用者がつけあがるということ。
尊大な文句が増える。
ちょっとでも使えないタイミングがあったり、想定したものと違うとクレームがつく。
税金を払っている公共のものではなく、一企業の提供するサービスであっても。
人間って恐ろしい生き物だ。
それぐらいなら有償にして
提供する内容にも格差を与えた方が良いのではないか。


後輩が言ってたのは、50円のハガキが少しぐらい遅れようと誰も文句を言わない。
それが無料になった途端ソワソワしだす。
利用する側にコストの制約がなくなった途端、
そこに無限のサービスの質を求めてしまい、「享受できてない」と感じる。
その一方で50円なら「その程度だし」と割り切ってしまう。


先日、apple store を訪れたときに感じたことだけど、
よほどのプロフェッショナルな意識とスキルが無いかぎり、
サービスを無料で提供するのは無理。
そんな世の中になっている。
善意では提供できない。


そもそもの善意が、他人に押し付けるものとなっている人もいるわけだし。