ポケコンというもの

カシオのポケットコンピュータ(通称「ポケコン」)というものを思い出す。
電卓を少し大きくしたぐらいで
アルファベットのキーボードがあってプログラミングが可能。
全盛期は1980年台後半か。僕が中学生の頃。
携帯電話やノートPCの普及と共に市場から姿を消す。
今は関数電卓として名残を残すのみ。
↓ラインナップを知るには、このページがいい。
http://members2.jcom.home.ne.jp/hk31a/LarrysSB/LarrysHobbyPB.htm


これまでに何度か書いてきたことだけど、小さい頃はパソコン少年だった。
寝ても覚めてもコンピュータ。今となっては考えられない。
というかその頃に燃え尽きて、以来PCとは単なるツールであって特に興味は無い。


テレビにつなぐMSXと、カシオのポケコンが2台。
1台の日清UFOの懸賞で当たったもので
(「遊−COM」という名前、中身は当時のベストセラー「PB-100」)
もう1台は貯金して買った「FX-781P」だったか。
マイコンBASICマガジン』(通称「ベーマガ」)を毎月買っては
PB-100向けのゲームのプログラムを打ち込んで遊んでいた。
ポケコン・ジャーナル』という雑誌もあった。
常に持ち歩いていて、昼休みや放課後には友人たちが群がる。
ゲーム機の替わりとして。まだ、ゲームウォッチの時代。
ゲームボーイが発売されるのは少しあと。


ゲームのプログラムをアレンジしてみたり、自分でもイチから作ってみたりした。
たいがいうまくいかずに真似事程度に終わったけど。
でもこのときの経験がなければ、今、IT業界にいない。
というかその当時出会った言語が「BASIC」だったため、
「C」や「JAVA」といったコンパイル系の言語が本質的に理解できないことになる。


カシオの「PB-1000」というのが死ぬほどほしかったな。
折りたたみ式で、スクリーンが比較的大きく、タッチキー。
中学生には到底手が出せないシロモノ。価格は確か当時\39,800だったか。
熱心なファンページがあった。
http://homepage3.nifty.com/lsigame/pb-1000/pb-1000.htm


家に帰ればまだあるかなあ。電源を入れてみたい。
PB-100のゲームを各種掲載した本も何冊か残っているかも。
スクリーンと言っても一桁12文字のキャラクター出力のみ。
図形描画などは不可。英字が出力可能な電卓という程度。記憶は544文字のみ。
そういう制約下で知恵を絞って皆がゲームを作っていた頃が懐かしい。
当時子供だったからというのを抜きにしても、秀逸なゲームが多かったように思う。