青森帰省 '2011夏 その2(野辺地)


母と妹夫婦と浅虫温泉に一泊する。


8時半に起こされて朝食、その後、家中に掃除機をかける。
甲子園の決勝戦を見る。従姉妹が昨日・今日と応援に行っていると聞く。
在校中に母校の試合、しかも決勝戦を見られるなんて。
そんな機会のある人ってどれぐらいいるものだろう。うらやましい。
3回の裏、ホームランで3点取られる。
5回の表、ピッチャー秋田のライト方向へのヒットで
2塁ランナーがホームを狙うがタッチアウト。
ここが流れを決めたように思う。
あの場面、3塁で止めていたら…
いや、決勝戦で3点差。走るか。あれは好返球過ぎた。
打撃の破壊力よりもあの長い距離を冷静に返球できたたところに
僕は日大三校の底力を感じた。


5回の裏を見ているときに妹の旦那が到着して、車に乗り込む。
続きはラジオで聞く。さらに追加点が入る。
海辺を走る。フェリー埠頭を過ぎる。
船の博物館というのができていることを知る。ずっと前からあったのか。
JASの小型機が地面に、釣り船と一緒に並べられていた。
ベイブリッジを渡って港の古びた倉庫街。
合甫公園に向かう。東バイパスに出る。
7回と8回でさらに追加点で合計11点となる。秋田はノックアウト。
交代はもっと早くてもよかったのではないか。
あるいは控えのピッチャーを序盤の回に投げさせるという
意表をついた作戦もあったのではないか。
結局のところ日大三校のバッターは2順目以後
調子をピタッと合わせてきたのだから。
光星学院は0点のまま試合を終える。


浅虫に入る。泊まる宿の位置を確認し、駅に停まってトイレ休憩。
日差しが眩しくて暑い。今日の最高気温は東京よりも高いようだ。
駅の足湯に入る。お年寄りの方たちが世間話をしている。


野辺地へ。夜越山から山の奥のルートへ。
あまり知られていないのか周りに車を見かけない。
盛んに「この一帯はDoCoMo使えます」という看板を見かける。
Softbankは圏外。
まかど温泉や立派なグラウンドが見えてきて、
ここから野辺地の町へと下りていく。


駅前は寂れていた。かつては特急も停まったというのに。
新幹線が開通して青い森鉄道の管轄に入ってから
ここはどんどん寂れていくのだろう。浅虫温泉も。


「松浦食堂」へ。
一見、駅前のどうってことない普通の寂れた食堂。
ラーメン、親子丼、カツライス。
しかしここは「茶粥定食」が有名で
そのためにわざわざ遠方からも訪れるという。
茶粥って中上健次の小説によく出てくるけど
関西の食べ物だとばかり思っていた。
野辺地は「カワラケツメイ」というマメ科の植物が
「草茶」として愛飲されてきたとのこと。


地元のおばちゃんたちが切り盛りする。
店内には伊那かっぺいや「3年B組金八先生」の巡査役の方のサインや
紹介されたテレビ番組の写真が貼られていた。
予約した茶粥が出てくる。
大きな土鍋に茶色の茶粥が煮えて運ばれてくる。
これを茶碗によそってごま塩をかけて食べる。
定食はこれだけではなくて、食前酒として玉子酒
味噌貝焼き、長いもとホタテの刺身、豆腐やわらびの煮合え、
豆腐の磯辺揚げ、寄せ豆腐、菊の酢の物と盛りだくさん。
野辺地のうまいものを一度に全部食べる感じ。いい。


駅前の観光物産PRセンターに入る。
薄暗くて物寂しい。青森県の特産品を売っている。
買ってあげないとかわいそうな気がして、
りんごキャラメルと「津軽飴」を買う。
後者はどういうのか分からず。見た目も味も。
あと、なんとなく見かけた青い森鉄道のクリアファイルも。


13時。宿は15時チェックイン。
2時間ほどあるということで「常夜燈」を見に行く。
海沿いの公園となっていて、その奥に常夜燈があった。
日本最古と聞いていたけど意外と新しい。1827年に置かれた。
今から1000年も前に組まれてかろうじて原形をとどめている石組み
みたいなのを僕は想像していた。
僕はいったい何とごっちゃにしているのか。


陸奥湾が青く広がっている。
青森市街地から反対側のほうに目をやると風力発電用の
真っ白な風車が群れを成して立っている。
見に行ってみたくなる。