すれ違う無名の人びと

朝だいたいいつも同じ時間の地下鉄に乗って会社へと向かう。
東京駅の地下街からの外れから地上に出て神保町へと歩いていく。


毎朝すれ違う人たちがいる。3人覚えている。
1人は僕と同じぐらいの年の女性で眼鏡をかけている。
丸の内のOLといった感じで実際、とある銀行の中へと裏口から入っていく。
他の大勢の行員たちと一緒に。


次もまた女性で20代半ばぐらいか。
竹橋駅を過ぎて神保町に入った辺り、
如水会館や共立講堂の交差点で互いに信号待ちで立っている。
会社員ではなさそうだ。フリーターだろうか。


最後の1人は初老の男性で右半身が麻痺している。
強張って自由のきかない右手を押さえ、右足をかばって摺るように歩いている。


この3人の方だけではなく毎朝、他にもたくさんの人とすれ違っているのだと思う。
1人目の女性は大勢の中からある日突然気がつくようになった。
何がきっかけだったのかは分からない。
取り立てて美人でもない。好きなタイプの顔でもない。


この3人に帰り道で出会うと、ドキッとする。
めったにない。しかし、ないこともない。
会ってはいけない場所で会ってしまったような後ろめたさがどことなくある。
お互いその日1日を生々しく過ごした後でまたすれ違うというのがゾッとする。
本来交わることの無いはずのものが交わる。
なのにそこからは何も生まれない。
ただその瞬間があるというだけ。


話しかけたいとも思わない。
共有する背景がほとんどなくて、会話が成り立たないだろう。
「いつもここですれ違いますね」
「え、ああ、そうですね」
そっけない。でも、この世界はそれぐらいでちょうどいい。
あとは日々気まずい思いをして、僕の方で歩く道を変えるだけ。


そもそもが通勤の行き帰りの「道」って単に便宜上のものでしかなくて
移動という目的に当たっての中間点に過ぎない。付随するもの、延長するもの。
景色の移り変わりは感じるかもしれない。しかしそれ以上のことは無い。
旅先で歩く「道」とは根本的に異なる。
何かを求める方が煩わしい。


そして今日もまたすれ違って、オフィスに着いて仕事を始める。
夕暮れ時になって仕事を終えて、同じ道を引き返す。
そこでは何も起きないということになっている。