『アンダーグラウンド』再び

今日は午後会社を休んで渋谷シアターNに
アンダーグラウンド』のリバイバル上映を見に行った。
デジタル・リマスター版であるという。
平日の午後イチだったが、けっこう客が入っていた。いいことだ。
http://www.eiganokuni.com/ug/


もう何度も何度も書いてきてまたかって話だけど
僕はこの『アンダーグラウンド』が生涯No.1なのである。
1000本か2000本見た中での頂点。
幸か不幸か、これを超える映画に出会うことはたぶんないと思う。


初めて見たときほどじゃないけど、やはり泣いた。
最初は第二部、地下の結婚式で花嫁が宙に浮くところ。
悲しい場面でもないのに。手の届く最大の幸福ってものを具現化したようで。
そして今回一番泣いたのはラスト。
海の中から牛の群れがワラワラと上ってくるじゃないですか。
あれがとてつもない奇跡に思えた。
そして大団円の結婚式へとなだれ込んでいく。


今回は主役の3人よりも
狂言回し的な役割の動物園の飼育係イヴァンが気になった。
最後に××と○○に再会するところがまた、それぞれ泣かせどころ。
(後に『ライフ・イズ・ミラクル』で主演を果たすんですよね)


だけどやっぱ歴史の重みや物語の途方もない大きさのゆえに泣くわけであって。
第二次大戦時やチトーが亡くなったときの記録映像が
これほどたくさん挿入されていたとは。印象が大きく変わった。
そして流れるは「リリー・マルレーン
マレーネ・ディートリッヒが戦時下に歌って
どちらの側からも支持されたという多義性、多様性。
それをそのまま持ち込む。ああ、こういうところがうまいんだな、と気付いた。


この物語の大きさを語るためにどうしても必要とされたのが
あの狂乱のリズムとブラックユーモアだったのか。改めて実感する。
重たいものを重たく描くだけでは映画にならない。
話したことにはなるけど、語ったことにはならない。
聞いたことにはなるけど、届いたことにはならない。
そもそもが直面している事実の大変さに当事者たちの心も体もじっとしていられない。
それがあの狂騒となって現れるのだな。


何度見てもこの映画には完敗。ものすごくやられる。
これ以上に人間というものの滑稽さと悲しさを描いた作品を僕は知らない。


ラストシーンの意味。
この地上にはもはや楽園どころか自分たちの居場所もなくなったということか。