『ジョゼと虎と魚たち』『五分後の世界』

今週は忙しいさなかに前から読みたかった小説を2冊読めた。
田辺聖子ジョゼと虎と魚たち』と村上龍五分後の世界



田辺聖子ジョゼと虎と魚たち』■


「働く女性のままならぬ恋と生活」を描いている短編集。
僕はやはり映画化された表題作が群を抜いて好きですね。
人知れぬ何かを描いているような。タイトルもいい。


他はそれほどでも。
僕にとって今、あんまり求めてないテーマなんだろうな…
小説の書き方としてうまいな、と思ったのがいくつか。


「働く女性」「恋」「生活」というフィルターをはずしたときに
何が見えてくるか? ということが気になった。


『ジョゼ』は小説と映画で全然印象が違った。
映画はくるりの演奏する、肩の力の抜けた音楽に代表されるように
なんだかふわっと軽くて、明るかった。洗いざらしの木綿のような。
たぶん、この曲や映画は「ジョゼと虎と魚たち」という小説から広がる
イメージの世界のほんの一部分を切り取ったものでしかないんだろうな。
別な監督が撮れば全く別な作品になる。想像力を働かせる場所ががらりと変わる。
そんな意味で隙間や引き出しが多い。
その一方で誰が撮ってもこうとしかならない、と思わせる作品もある。
どちらがいい悪いという優劣の話ではなくて。



村上龍五分後の世界』■


イン・ザ・ミソスープ』以来久々に読んだのですが。
やっぱ内容も書き方もよくできてるなあと改めて感服した次第。
(落ち着いたら『半島を出よ』など他のも読みたい)


ほんと言葉が濃密。
なんであんなに長々と臨場感ある戦闘シーンを描けるのだろう。
戦闘に限らず最初から最後までどこもかしこも。
どこまでが想像力に寄るものでどこからが入念な調査に寄るものなのか。
いや、作者の中でそれは分け隔てないのだろう。


ワカマツ、リップクリームをぬった女、ヤマグチ司令官、
マツザワ・アヤコ少尉、ミズノ少尉、これら重要な登場人物たちが皆、
いくつかの場面・時間を共有したら
後は通り過ぎていくだけというのが印象的だった。
後でまた登場して主人公:小田桐の行動や思考に影響を与えるという
小説の基本的な作法を無自覚に踏襲するのを避けているかのよう。
かといって話はバラバラではなく、
むしろとてつもなく力強い流れに乗ってグイグイ進んでいく。
運命とか使命感とでも呼ぶべきもの。
それゆえのこの、一期一会。