”42”

このところ細切れに見てた『銀河ヒッチハイク・ガイド』を昨晩見終えた。
前半部分は今一つさえなかったものの
後半の地球をアレする場面はそもそも映像が面白かった。
これは大画面で見たかった。


有名な話なのでネタばれとも思わずに書くけど、
作中にて究極の疑問として「人生、宇宙、すべての答え」を問われた
スーパーコンピュータ「ディープ・ソート」が
750万年かけて計算し、導き出した答えが”42”という数字だった。
2でも3でも6でも7でも割り切れる、凡庸な数字。
意味ありげに素数だったりしない。
もちろん、なんだそりゃとなる。
そして大事なのは次のポイント。原作の小説版では、ディープ・ソートは
そもそも「究極の疑問」としての問いの立て方が間違っていると指摘する。


ここだよな。
問いと答えの関係は本来、「問い→答え」と非可逆的に進むものではなくて、
本来は「問い⇔答え」と双方向となる。安っぽい言い方をするとインタラクティブ
投げっぱなしで750万年待つようなものではない。
その時点でそもそも「問いの立て方が間違っている」と思う。
むしろ答え(事象)から始まって、なぜ? と問いかける方が正しい。
そしてその「なぜ?」はその気になればどこまでも掘り下げられる。
問いも答えも動的なものであって、
その都度変わっていくのがあるべき問いと答えの姿だ。
人生、宇宙、すべての答え」=”42”というのは演算結果を求めたに過ぎない。


では、その”42”とはいったいなんなのか?
Wikipediaなんかを見てると作者ダグラス・アダムズにとっても結局はたまたまらしい。
グーテンベルクの42行聖書や13進数や『不思議の国のアリス』との関係性
というのは周りが深読みしてるだけ。
もうひとつ、ここだよな。
本来「問い⇔答え」の関係(のその時々の表れ)はシンプルなものになるはずが、
周りが騒ぎ立ててそれぞれの見方によって複雑なものとなってしまう。
”42”は”42”でしかない。
方向の逸れていく「余計な問い」というものもまた世の中には多すぎる。


そういえば、先日『パラサイト・イヴ』の瀬名秀明による
『ロボット21世紀』という新書を読んでいたら
1980年代末、チェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフに挑むために
カーネギー・メロン大学の学生たちが開発した
スーパーコンピュータに関する記述があって
その名前が「ディープ・ソート」だった。
これもやはり『銀河ヒッチハイク・ガイド』から来てるんですね。
日本では知る人ぞ知るだけど
BBCラジオのコメディ番組から始まって、欧米ではカルト的な人気があるという。
イギリスのフュージョン系バンド「Level42」の名前の由来もここなのだとか。


そんなわけで見終わったあとに僕がまずしたことは
久々に聞きたくなった「Level42」のベストアルバムをオーダーしたことだった。
そんなふうにして物事は日々つながっていく。
これもまた問いと答えの連鎖。