最上階から

高層ビル。分厚い窓の側に立って、外を見下ろす。
地面の上、小さく動く人たちを眺める。
表情が分からなくて、仕草も見えず。
服装の大雑把な色彩にわずかに個性が残るだけ。
どこに向かって、どんな調子で歩いているかという行動−動向だけになる。
そういう人たちが連なって群れとなり、駅であるとか、どこかへと向かっていく。
個々の人間が数量的に計測可能な存在となる。


見下ろし続けるうちに感覚のズームがおかしくなっていく。
個性というものは限りなく近付いたときにだけ
垣間見える幻影に過ぎないのではないか。
感情の表出やそのやりとりというものもそこでは簡単に失われる。
重要なものではない。そんなふうに思う。


リアルなものって、要するに「動向」のことを言う。
言葉では表しようがなく、出来事として今この瞬間に起きていること。
それは言葉にした瞬間、あっさりと失われてしまう。
それは各々の瞬間がすぐにも過去として消えて無くなるというのと同じ。
近付いたときに表情として「現れたもの」ではなく、表情として「現れること」
そしてそれは「現れたということ」ではない。


見下ろしたそこには「個」というものはなく
単なる数値としての「1」であって、「群」の規模の大小に還元される。
多かれ少なかれ全ては「集合」なのだ。


これが神の視点なのか。
いや、そんなことはないだろう。
それは恐らく高さや距離感の問題ではない。