訪問者


「彼」にはこれまで3度会ったことがある。名前は分からない。今、
私なりに名づけるならば「訪問者」だろうか。5歳のとき、夕暮れ、
砂場でひとり遊んでいた私のところに彼は現れた。真夏だというの
に、灰色のコートを着て幅広の帽子をかぶっていた。見上げると太
陽を背に、最初は黒い影としか見えなかった。どんなことを話した
のかは覚えていない。いや、何も話さなかったのだと思う。しかし、
強い力でもって心の中に入り込んで、語りかけてきた。その磁力の
ようなものの感触がいつまでも残り続けた。いつのまにか彼は消え
ている。その後強い雨が降り出す。まだ小さな私は砂場の中でずぶ
濡れになって泣く。そこから先の記憶は、ない。


(ノートはここで一度途切れていた。破られてページがとんでいる)


「このことは秘密だ」という誓いを破って思い切って妻に話した。
そのような得体の知れない人物が自分のもとを訪れてきたことは一
度もないと言う。怪訝な顔をされた。私だけなのか。では、なぜ、
私に? 私は選ばれたのか? とてもそうとは思えない。理由や仕
組がわからない。私はそれを、知りたいと思う。


(ここはインクが青く滲んでいた。書いては消した跡が垣間見える)


35歳になった私は彼が来るのを待っていた。1年間待ち続けた。し
かし、彼が来ることはなかった。15歳や25歳のときとは状況が変わ
ったようだ。36歳になった。私は、私に課せられた使命を終えたの
か。そうか。死ぬべきなのか? これから先、いったい、なんのた
めに生きるべきなのか? 妻がいて、子供がいる。それでも私は誰
からも求められていないように思う。


(これを遺書と読んでよいのならば、僕はその最後の言葉をここに)


私はなぜ、あんなことをしてしまったのか。どうしたのか。最後に
見た妻の顔が焼きついて離れない。子供たちの声が聞こえる。私は
この風景を前にして、吹きさらしの椅子に座って、一日中、悔いる
言葉を呟いている(ようだ)。全世界の人々に対して謝りたいと思
う。いや、謝ったところで何かが巻き戻るわけではない。私がこの
命を絶つことで何かがひとつ軽くなるのならば、それを差し出そう。
大勢の見知らぬ人々が(私の心の中で)私のことを責め続けている。
肌の色や言葉の違う人たちが。そしてそんなときにも私は彼の姿を
探し求めている。…今では幻影に過ぎないと分かっている。私が作
り出した。なのに私は彼の姿を見ることができない。「訪問者」は
去っていった。私はその空洞を埋めることができなかった。私の弱
い心は、そのトンネルの中を歩くことができなかった。私には、怖
い。私には


(…気になった僕はタイムマシンに乗って会ってみようかと考えた)