ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ

先月末よりイメージ・フォーラムにて
ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ』が開催されている。
http://www.zaziefilms.com/cassavetes/
今回の目玉は『ラヴ・ストリームス』か。
スクリーンで上映されるのはいったい何年ぶりなんだろう?
僕は学生時代に映画サークルの部室に転がっていたビデオのダビングを観た。
もう15年近く前のことだ。
僕が最も好きな『こわれゆく女』は今は無き
池袋の文芸座とは別の、だけど同じ匂いのする小さな映画館で観た。


昨晩『ラヴ・ストリームス』を会社帰りに観に行って、
今日は会社を休んで午前中、『こわれゆく女』を。


ジョン・カサヴェテスで最も評価が高いのは『ラヴ・ストリームス』だろうか。
愛を求めてすれ違う、不器用な人間たちのファニーな姿、か。
ところどころクスクスと笑い声が起きていた。あれはコメディ映画だったのか。
『こわれゆく女』は何度観てもグッと来る。
終わって外に出たら映画サークル時代の後輩にバッタリ会った。
『ラヴ・ストリームス』の前ではどれもコメディに見えると言っていた。
次の回を観るのだという。ジョナス・メカスのようにビデオカメラを回していた。


どちらもジーナ・ローランズが精神に変調をきたす役となっている。
『ラヴ・ストリームス』のジョン・カサヴェテスは女好きの小説家という
アウトサイダーな役柄ゆえか逆に見守り、現実に引き戻そうとするが、
『こわれゆく女』のピーター・フォークは下層階級の現場監督にして
あくまで家庭人として普通であろうとするがゆえに怒鳴り、病を進行させる。
どちらにしても救いがない。
そしてなぜか『ラヴ・ストリームス』の方が闇が深い。無常というか。
『こわれゆく女』の方に垣間見える人間関係の力学というか因果関係のようなものが
『ラヴ・ストリームス』の方では一切なくなってしまっている。
説明はなく、ただただ奇矯な振る舞いの重ね合いだけが描かれる。
ジーナ・ローランズは精神的に病んでいて、
ジョン・カサヴェテスは社会的に病んでいる。
交差するわけがなく、分かり合えない。
姉弟という血のつながりがあるだけ。
(一方でピーター・フォークの方とは夫婦の関係となるのが興味深い)


この救いようのない気持ちを振り払うには
『グロリア』と『オープニング・ナイト』の対を観るべきなのか、
それとも『ハズバンズ』と『ミニーとモスコウィッツ』の対なのか。


今回のレトロスペクティヴをきっかけに
『ラヴ・ストリームス』はDVD化されるのかな。いや、きっとそのはず。