手紙

 **さん


 こんばんは。岡村です。


 僕の父は僕が小学校一年生のときに亡くなりました。7歳ですか
 ね。3月の春休みのことでした。その頃は下北半島の外れにある、
 むつ市に住んでいました。


 その日はいつも通りの一日でした。夕方、電話が掛かってきまし
 た。僕が出て、母に替わりました。妹と三人で病院に行くことに
 なりました。遠くにあったのでタクシーに乗ったのだと思います。
 次に覚えているのは大きな病院の薄暗い廊下、相手の方は軽症で
 済んだ、とのことでした。


 父は新聞記者で、地方の支局に勤めていて、とある事件の取材の
 ため現場まで車で急いでいました。いくつかの新聞社の人たちが
 一緒になって向かっていました。父はその先頭を走っていて、相
 当スピードを出していたそうです。


 その取材仲間の方(父の友人でした)の家で、その夜はご飯を食
 べさせてもらいました。酢豚でした。なぜかそのことを今でもよ
 く覚えています。僕は、なんでお母さんがここにいないのか、不
 思議に思いました。


 それから何日後か。僕の家には全国から親戚たちが集まって、何
 も知らない僕と妹はよそ行きの服を着せられて朝から晩まではし
 ゃいでいました。家中を走り回っていました。とにかく皆、僕の
 ことをかわいがってくれるのです。


 父はいなくなりました。取材に連れて行ってくれたり、帰ってく
 るとカラオケを歌ったりギターを弾いたり、そんな父は急にいな
 くなってしまいました。


 父は広い部屋の真ん中に、白くて細長い箱の中に入っていました。
 無言で、身動きひとつせず。いつもの黒縁の眼鏡をかけて。真っ
 白な顔をしていました。そこに緑色の斑点が浮かんでいました。
「ねえねえこれなに?」誰かに尋ねると、その人ははっきりと「黴
 だ」と答えました。


 青森での葬儀が終わって、今度は父の実家のある東京での葬儀と
 なりました。初めてのトウキョウ。僕はまたしてもはしゃいでい
 ました。父の同僚だった方が一日、僕らと遊んでくれました。玩
 具屋で何でも好きなものを買ってあげるよと言われました。その
 後は上野の動物園に行って、そのとき話題だったパンダを見まし
 た。


 そのとき、父の母、僕の祖母は「あの子を青森に、あなたの故郷
 なんかに行かせたから死んだんだ。あなたがあの子を殺したよう
 なものだ」と言ったそうです。僕が大人になったときに、母から
 聞きました。


 その祖母も亡くなりました。以来、たくさんの人が僕の周りで死
 にました。


 僕にとって死とはそういうものです。最初の出会いに現実感がな
 かったがゆえに、今でも現実感がありません。どれだけ近くにあ
 っても、遠いものです。


 遠すぎて、理解のできないものです。それゆえに、残酷なもので
 す。


 このことは初めて言葉にしました。もちろん、**学校の人に話
 したこともないです。会社の人にも、大学の友人にも。


 その後、母は女手ひとつで僕と妹を育てました。もう30年近く前
 のことになります。


 以上です。今晩言いたかったことは、これだけです。