私という世界という私

「自分が死んだとき、世界は消えてなくなる」という考え方がある。
さすがに消えて無になるってことはないし
この世界はいくらでも僕やあなたに関係なく続いていくんだろうけど、
この考え方、なんかどこか気になって、惹かれる。


自分が生まれた瞬間パラレルワールドがひとつ分岐して、
私の死と共にそれが閉じられる、というのはあるのかもしれない。
「私という主観が捉えた世界」は確かに無くなるわけだし。


ここのところに「胡蝶の夢」が重なってくると思う。
夢を見ていて目が覚める。
自分は蝶になった夢を見ていたのか、
それとも「この私」と思っていたものは蝶が見ている夢なのか。
どちらにせよそれは、私の属するパラレルワールド
その瞬間、切り取ったものなのだ。
そしてそれは断面に過ぎないから、裏表がそこにある。


あるいは。
「私は誰かの見ている夢なのかもしれない」
この考え方のほうが、ありそうな気がする。
そう、私という存在はどこか不安定で、どこか欠落を孕んでいる。
意外なところで足を掬われる。


結局のところ「私」なんてものはこの世界に対して
絶対的に対峙するものではない。
対等であり、あわよくば左右するというような。
そんなたいしたものではない。


でも、その「私」の寄せ集めが単なる1+1+1… 
の足し算とならないところに、
この世界の成り立つ何かがあるのだと思う。


宇宙はひとつ、世界はその人の数だけ存在する。
どこかでそのように習った。
果たして、どうなのか。