周辺に生きる

昨日イシス編集学校:27守がクローズ。
今日の昼、舞台裏、師範向けのラウンジも閉じられた。
この半年あまり、あっというまだった。
無我夢中で駆け抜けた。
あれこれ掛け持ちして最高に忙しかった7月はもはや、記憶に残っていない。
どうやって乗り越えたのか。
確かに、僕の編集エンジンはあの頃が最も唸っていた。


途中、こんなことを思った。
中心と周辺というものがあるのなら、
僕はその場における周辺の周辺、
そのキワキワのスレスレのところに向かうのが好きなのだな。
縁がぼやけてて境界線もあるのかないのか分からなくなっているような。


僕の人生がずっとそうだった。
中心にはいない。一歩どころか二歩も三歩も離れたところにいる。
異端児・変わり者ではあっても、はぐれたい・群れたくないというのとは違う。
全体が見渡せるところにいて、すぐどこにでも動けるように備えているというか。
周縁という場所はいとも簡単に中心へと反転するものだし。


その場における、密かに、最も自由な人でありたいんですね。
それは縁のところにいるのがいいと、ようやく気が付いた。
input / output の最前線。…の脇ぐらい。


そういうところを本能的に嗅ぎ当ててる。
そんな能力というかアンテナばかり磨いてきたように思う。
なんとはなしにそこにいるけど、どことなく存在感のある人、というか。


間違ってはいない、というか自分でも、ま、そうだな。
こんな感じで、残りの人生も生きていくんだろうね。