『お伽草子 この国は物語にあふれている』

午後、休んだ。
銀座の丸の内TOEIで『アウトレイジ ビヨンド』を観て
(年配のサラリーマンばかりだった)
六本木へと向かう。
先日フラッとミッドタウンに入ったときにサントリー美術館で見かけた
お伽草子 この国は物語にあふれている』こちらへ。
http://www.suntory.co.jp/news/2012/11479.html


今関わっているPJで役に立ちそうな予感がして。
というか物語研究に片足突っ込んでる昨今、この辺りは外せないなと。
お伽草子」とは室町時代を中心に発展して、広く読まれた小話群。
その多くは絵本や絵巻物の体裁を取っている。
一寸法師、浦島太郎、酒呑童子、ものぐさ太郎、鉢かぶり姫、百鬼夜行など、
今も知られる物語やテーマが題材となっている。
これら何百年も前からずっと語られてきたんですね。


平日なのになかなか混んでいた。外国人の姿をよく見かけた。
分かりやすくナラティブ・ジャパネスクって感じなんでしょうね。


図録を買う。冒頭にて「物語とは異空間の出来事を語ること」とあった。
想像上の別世界、ないしは現実の世界での不思議な出来事。
そうか、そうだな。物語は必ず「異化作用」を伴う。
分かりやすい例では動物たちの擬人化。
蛙や鼠や鶴が人間となって旅に出たり、人間界と交わったり。
この「異化作用」は強烈なイメージをもたらすものであればあるほどいいんですね。
そうすればそこに託されたメッセージがより伝わって定着するようになる。
語られていくうちに自分だったらこうしたいという変化を呼び覚ましやすくなる。
時代や土地に応じたそういう変化が、世代間に渡って物語の新鮮さを保つ。
この「異化作用」の大きさの度合いが、語られるべき物事の重大さに恐らく比例する。
何の味付けもなく淡々と起きたことをそのままに語っているとやがて忘れられる。


興味深いのは「お伽草子」の場合、そこに絵が加わるということですね。
これもまた受け入れやすくする工夫のひとつ。
浦島太郎がその後祀られて盛大な祭礼が開催されましたという場面は
言葉で聞くよりも色鮮やかなヴィジュアル・イメージがあった方が記憶に残りやすい。
あるいは酒呑童子の各場面も、人々の仕草や表情といった
キャラクタライゼーションが具体的に与えられていた方が
自分の中の想像との違いが楽しめて重層的に物語が立ち上がりやすい。


個人的には今回、百鬼夜行を見てみたかった。
天狗や鬼たちといった異形の者、箒や釜など器物が妖怪変化した者などが
おどろおどろしく、てんでバラバラに練り歩いている。
ゲゲゲの鬼太郎』のどこかで読んだのが記憶に残っているのか、
もっとギュウギュウに密度の濃いものかと思いきや隙間が多かったのが意外だった。
そしてそのほとんどで背景が描かれず。
恐らく往来を歩いているのだろうけど、
これはどこでもない場所ってことを表わしているのだろうか。


サントリー美術館なので展示は程よく小ぶり。
お伽草子」に類するものって世界各地にあるはずであって、
アジア・ヨーロッパに伝わるものを見てみたいですね。