物語論続き

最近学んだことなど。


1)
ワールドモデル(世界観)とキャラクターがしっかりしていれば
シーンやストーリー(プロット)はどんどん転がっていく。
結局のところ読者が読みたいのはその作品の世界観と
キャラクターなのだと思う。ストーリーはその軌跡に過ぎない。
人間とその周りの世界ということですよ。


パズル的に凝ったストーリーは結局飽きられる。前面に出過ぎるとダメ。
その手の映画は登場人物ではなく
監督なり作者の世界観やキャラクターが求められるのだと思う。
パルプ・フィクション』以後雨後の筍のごとく現れた中で
生き残ったのはタランティーノガイ・リッチーぐらいなのは、そういうこと。


2)
設定だけこだわっても展開は引っ張れない。
世界観だけこだわってもうまくいかないんですね。動かない。
主人公が何を求めているか、誰と対立しているか、どこに弱み・悩みがあるのか。
そういうところきちんと決めて
他の登場人物たちと交差しないことには何も起きない。


事件が起きるから人間関係が動くんじゃないんですね。
人間関係が動くからそこに事件が起きた、あるいは起きる必要があるということ。


3)
そうは言っても、点としてのシーンや線としてのストーリーはおろそかにせず、
きちんと準備して磨いていった方がいい。


ワールドモデルやキャラクターは素材や下ごしらえ、
火を入れて味付けするのはシーンやストーリーなんですね。


4)
物語を描くならば「異化作用」が重要。
目の前の出来事をそのまま淡々と描いても物語にはならない。
それは異様なものを見たい・聞きたいということでもあるし、
異様なものでないと記憶に残らない・語りたくならないということでもある。


見た目にはアート的な誇張。筋書的にはドラマチックな誇張。
もしかしたら人はこれらの誇張の仕方、センス・スタイルこそ
最も味わいたいものかもしれない。
こちらが先に来て、1)が腹に残るというか。