『Songs for Cassavetes』

日曜の夜、『Songs for Cassavetes』を観た。
モノクロのざらついた映像で、90年代の
USインディー/DIY/パンクバンドのライヴ映像とインタビューを交互に映し出す。
80年代から形成されてきたアンダーグラウンドなネットワークが陰の主役か。
有名なところでは Sleater-Kinney や Dub Narcotic Sound System 辺り。
手作りのフェスとして始まった「Yo-Yo a Go Go」の成り立ちなんかも
レーベル主催者のインタビューで分かるようになっている。


切り取る視線が等身大で素直。
距離感が程よい。持ち上げもしないし、突き放しもしない。


仕事を休んでバンに乗ってツアーをして
(それはつまり長期的に休めるようなハンパ仕事にしかつけないということだ)
食べものとギターの弦を買って、あとはレコーディング費用に費やしたら
あとは何も残らないという生活を何年も何年も続ける。
パンクロックが好きだ、ファンや仲間のコミュニティーが好きだという理由で。
メジャー進出は自分が磨り減っていくだけだから、
何よりもファンとのつながりを切り捨てることになるから、ありえない。
ただただ自分の好きな音楽を演奏していたい。


そんな若者たちがスクリーンの向こうに現れては消えていく。
そして、さしてうまいとは言えない演奏を、見る人が見たら独りよがりな演奏を、
小さなクラブの数十人ぐらいの似た者同士の観客を前に繰り広げる。


彼らの視線は、表情は、誰一人として何の迷いもない。
ロック・ミュージックの極北。しかし、触れば壊れそうなひとつの幸福でもある。
一言で言えば、「信念」だ。
自らことを起こし、自らその責任を取る。例えそれが白昼夢に過ぎないとしても。
その一切がそのままフィルムの中に焼き付けられているというのが、素晴らしい。
ジョン・カサヴェテスのための歌」というタイトルも納得した。


ロックのドキュメンタリー5本の指に入ると思った。
何をもって5本か僕も選べないけど。
(フレッド・フリスの『Step Across the Border』はまず間違いなく入る)


ひとつ印象に残ったのは彼ら・彼女たちの何人かが
アメリカでの成人年齢に当たる21歳になったら
誰もが想像力というものを失っていくと考えていたことだ。
だから、20歳までの子どもたちに分け隔てなく届いて欲しい音楽を演奏するし
(彼らは、大人でないと入れないバーのような場所では演奏しない)
21歳から上の大人たちが想像力を保つための音楽を演奏するのだ、ということ。
そしてそれは日常生活における様々な制約やしがらみから
自由な音楽となる必要があるのだ、ということ。


オルタナティブの吹き荒れる90年代に青春を過ごしたロック・ファンは必見。
拙くて儚い、何の変哲もないベッドルーム・ギターロックが
僕らの日常生活にささやかな奇跡を起こそうとするサントラも必聴。
これこそがリアルなロック・ミュージックだ。


昨晩は帰り道、Sleater-Kinney『Dig Me Out』の前半を
学生時代以来、10数年ぶりに聞き直した。最高。