真夜中の光

なんとなく思い出したこと。


小学生の頃、夏休みや冬休みになると
津軽半島の先の方にある母方の実家に泊まりに行った。
長ければお盆や正月を挟んで1週間ぐらいいることになる。
僕ひとりで、ということもあったけど、たいがいは母と妹と3人で訪れる。
そのときいつも泊まる2階の部屋があった。今でも、そう。
かつて年上の従姉妹のものだった。
かぐや姫や長淵剛のポスターが壁に貼られ、
天井には秋芳洞や伊勢志摩のペナントが電灯を中心として広がっていた。
本棚に残された『かもめのジョナサン』を高校生のときに勝手にもらっていった。


小さい頃、早く眠るしつけだった。
21時か遅くとも22時ぐらいには布団に入っていたと思う。
親戚の家に行ってもそれは変わらない。
お盆や正月なので年の近い従兄弟も集まっている。
下ではまだそのはしゃぐ声が聞こえる。
大人たちもまた酒を飲みつつテレビを見ている。
そんなとき、気持ちが昂ぶってなかなか寝付けないものである。


眠れないままに僕は外を通る車を数えた。
津軽半島の先の方。広い国道から外れた小さな村。
周りの家の多くが寝静まっている。
電灯がわずかにあるだけで外は真っ暗。
通り掛かる車は5分か10分に1台あるかないか。
最初に遠くから音が聞こえてきて、ヘッドライトが左から右に通り過ぎる。
その瞬間、外が明るく照らし出される。
その光が天井にも届く。ペナントの輪郭が浮かび上がる。
僕はその瞬間が好きだった。ひとりぼっちじゃなくなる瞬間。
時々、車が2台続けて来たりするとそれがなぜか楽しかった。
向かい合わせに2台来てたまたますれ違うとなると
どんなイリュージョンよりも幻想的だった。
この世界が古びた、白い光に包まれる。
この世界は僕と、光だけが存在するような。
それは原初の何かに立ち返るようでもある。
気がつくと僕はまたひとりぼっちで暗闇の中に戻っている。


大人になって、最近は青森に帰っても親戚の家を訪れることはなく、
もう何年もあの部屋に泊まっていない。
あの光はまだこの世界に存在するのだろうか。
これが僕にとっての、幻想との境目となる。