「微熱」

時々「人類」のことを思う。僕やあなたが属している、人類。
あてもなく、ぼんやりと。
ベランダに出て煙草を吸いながら。東京の夜景を眺めながら。


妻が寝込んでこれで3日になる。会社も休んでいる。
女性だからというわけでもないが、
僕の身の回りでは誰よりも「それ」に影響を受けやすかった。
微熱が上がる。38℃。
その時期が来るとそれ以上となることはない。それ以下になることもない。
妻は時々ベッドから起き上がって、毛布に包まってソファーに寝そべって
無言でテレビを眺めている。
熱を計った体温計をテーブルの上に放り投げていつのまにか眠っている。
僕はお粥を作って食べさせ、5歳の息子と3歳の娘にも簡単な食事を作る。


子どもたちが無邪気にはしゃいでいる。
小さなぬいぐるみを手に誰もいないリビングを走り回っている。
時々ピタッとふたり立ち止まって、そこに何もないはずの天井を眺める。
口をわずかに動かしてその向こうの誰かと会話をしている。
病気ひとつ経験したことのない健康な体。エネルギーの塊だ。
彼らは新しい人類なのだと人は言う。
5年前に古い世界は終わってしまったのだと言う人もいる。
僕らは常に微熱を抱えて生きるようになった。
人類はかつての平熱を失った。


宇宙から来た未知のウィルスなのか「神の怒り」なのか。
いがみ合っていた国家が連携して研究しても、原因は見つからなかった。
僕もまた微熱を通り越して、体温がゆるやかに上昇していくことがある。
そんなときは眩暈がして遠くに白い光が見えるように感じる。
周期性や規則性はなく、月の満ち欠けにも関係はなく。
あくまでランダムに。誰かの気まぐれに付き従うかのように。


ソファーで眠っている妻に毛布を掛けると
僕は子どもたちに上着を着せて寒くないようにして外に出た。
マンションの外にある公園に向かった。
敷地内に足を踏み入れると子どもたちは上着を脱ぎ捨てて砂利道を駆け出した。
僕はそれを拾い上げてダウンジャケットを着た自分の腕に掛けた。
あちこちで元気な笑い声が聞こえた。
半袖姿の子どもたちが砂場でとてつもなく大きな砂の城をつくり、
ジャングルジムの上で逆立ちを競い合う。


ひとりが肩に乗ってもうひとりがその上に乗って、さらにもうひとり。
大人を超える高さになって、その柱が何組も寄り集まって「巨人」をつくる。
巨人同士が戦い合う。負けた方が吸収されてさらに大きな巨人となる。
それが子どもたちの間ではやっていた。
大人たちがどれだけ嫌がってやめさせようとしても
全世界の子どもたちが夢中になっていつも日が暮れるまで続けた。
僕の息子は最初顔の位置に着き、その後娘が目となった。
僕はそんなふたりをずっと眺めていた。
ひとりポツンといつものように
終わらない微熱、押し寄せる寒気に身を任せながら。