三陸の旅 その14

(2/20(水)朝)


05:30 起き。着替えてさっそく部屋を出る。
フロントに鍵を預ける。売店ティッシュペーパーを探すが見当たらず。
いつ寒さと花粉にやられるか分からず。聞くと置いてないという。
ホテルメッツの若いホテルマンは事務所の中を探して、
「使いかけでよろしければ…」と。ありがたく頂戴する。


駅へ。北上から気仙沼までの運賃は
券売機で購入できる上限1,760円を超えていて、表示されず。
みどりの窓口で直接買う。1,890円。
06:13 - 06:53 JR東北本線 一ノ関で乗り換えて
07:19 - 08:30 JR大船渡線 気仙沼まで。
そこから先は振替輸送として、岩手県交通のバスで陸前高田へ。


駅の表示を見ると「ワンマン2両」とある。
この時間だからそういうものか。
ホームに立って「2両乗車口」と札が吊り下げられた下に立つ。
2両目側。後から来た人たちはなぜか皆1両目側に並んで不安になる。
もしかして車両が短くてここまで届かない? 朝の車両だけ別とか?
電車が来る。僕の前にもドアが。ホッとする。
走り出して気付く。ワンマンなので乗車時に整理券を取る必要があって
下りるときは切符と共に運賃箱に入れてくださいとのこと。
そしてそれがあるのが運転手のいる1両目のドア前方付近。そうか。
だから皆、そっちに乗るのか? しかし僕は切符が気仙沼までだし。
どうするんだろ。まあ、なんとかなるか。


2両目は2両目でそれなりに乗客がある。半分が中学生か。
おしゃれなトレーニングウェア系コートを着ている。
バスケ部って感じ。朝練か。
中間テストが近いのか皆、ノートや参考書を真剣に読んでいる。
途中、水沢の駅でごそっと増えて合流する。
「おはようございます」と後輩が先輩に挨拶する。
しかし席を譲るわけでもなく。歪んだ体育会的気質はないようだ。


窓の外の風景は津軽線を思い起こさせる。
収穫を終えて平らになった田畑に白い雪が降り積もっている。
その上にたるみ気味の電線が伸びている。
田畑の間にまばらに農家の家屋。木々で囲まれている。


ドアは到着したら自動的に開閉するのではなく、
乗るのも下りるのもそのドアの前に立った人がボタンを押すというもの。
田舎でよく見かけますね。
津軽線に導入されたのが僕が上京してからなのでどうにも慣れず、
押すことを忘れてて一瞬悩んだり、乗った後に閉め忘れたり。
今日は出発間際に駆け込んできた中年の会社員が
ドアが開かなくて何度もボタンを押して、
だめだとわかると他のドアのところに行って。
結局車掌近くのドアを開けてもらったようだ。


一ノ関到着。
終点なので乗り換えの方はそのまま乗車券をお持ちくださいとのこと。
ホームの向かい側、気仙沼行きに乗り換える。
こちらは座席が2×2で向かい合うコンパートメント形式。
今度は学生服の高校生ばかりになる。その会話に方言がない。
この地域がそうなのか、それとも最近の若者は標準語が普通なのか。
凸型に線路の延びる右上に当たる摺沢で高校生たちが下りていく。
その下の千厩でさらに別の高校の生徒が下りていく。
雪がパラパラと降り出すが、空は明るい。
大船渡線は山の中をトロトロと走っていく。
太平洋が近付いて心なしか雪も減っている。


気仙沼に着く。小さな駅。小さな町。
古びた旅館と地元の人向けの商店があるだけの。北上よりも小さい。
ここで育ったら僕は迷わず高校を卒業したら出て行っただろう。
観光案内所でバス乗り場を聞く。観光地図ももらう。
開くと散策コースがどれも「魚市場<被災地>ガイドコース」などと
”被災地”を巡るものになっている。
復興を売り物にするってことではなく、包み隠さずということなのだろう。
通りに出てバス停の場所を確認して、そのまま港まで歩いていく。
朝の静かな商店街には人通りも少なく。車が北へ南へと行き来する。
市民会館で「北のカナリアたち」を上映するとチラシが貼られている。
映画館がないということか。
尾道でもこの映画が上映中だった。今、地方を回っているのだろう。
市役所の前に出る。デパートやスーパーのような建物。
3階から上が駐車場となっている。これはある意味便利か。


港に近付くと1階が柱だけになって天井が崩れ、
鋼材やケーブルが垂れ下がっている建物をいくつか見かけた。
この辺りまで津波が来たということか。
よく見ると周りの建物が皆、そう。
柵で囲って立ち入り禁止になっているか、その中をショベルカーで崩しているか。
見上げると看板はきれいなままなのに。
その瞬間、周りの物音に、絶え間ない解体工事の音に気付く。
残された建てものは、生き残った建物は、どれも解体されるのを待っていた。
地元の酒造「男山本店」も柵で囲われ、札が掛けられていた。
「男山本店店舗応急曳き家工事
 工事期間:平成24年8月15日〜平成24年9月10日
 発注者:気仙沼風待ち復興検討会」
 ※期間が過ぎていることに注意。


フェリー乗り場へ。
大島と行き来するのが到着してまたすぐに乗客を乗せて出航する。
船と橋渡しをする屋根つきの足場が水の中に潜り込んでしまっている。
歩道のレンガが陥没している。
港町ブルース」の歌碑もまたグニャッと傾いている。
少し先に行くと漁船の群れが停泊している。
その隙間から港の反対側、遠くに神社が見える。
手前の一隻を皆で集まって手分けして修理している。


道路を隔てて反対側に「お魚いちば」というのがあって入ってみる。
名前の通り新鮮な魚の切り身やスチロールに生のまま売っている。
夜にビールを飲むに当たってちょっとつまむのに何かいいのがないか探すが、
えいひれもマグロを煮たのもホタテの干物も
どれも大きなサイズのものしか売っていない。残念。
手ごろな裂きイカがあっても3個で1,000円でばら売りなし。…商売が下手?
牛タンやずんだ豆のあれこれが目に付いて、
あ、気仙沼って宮城県だったかということをようやく思い出す。
ご当地のゆるキャラ「ホヤぼーや」はホタテのベルトにいわしの剣。
なかなか味わい深い。クッキーなどお菓子系パッケージによく登場する。
気仙沼の情報誌が発行した震災直後と1年後と2冊の写真集が
売られていたので買ってみた。それぞれ1,000円ずつ。


港周辺の建物に戻る。
プレハブに4つの店舗が入って左端のがたい焼きを売っていた。仮設店舗か。
建物の裏手には瓦礫、その上にうっすらと雪が積もっている。
建物がまばらで、そっけない港だなあと思ったときにまたしても、はっと気付く。
この一帯は津波で流されて瓦礫になったのを
全てきれいに片づけて更地にしてしまったのだ。
そう、いくつかは建物の土台だけが残されていた。
ここは解体現場で働く人たちの声とショベルカーの音しか聞こえない。
僕のような”見学客”は大学生と思われるグループひとつだけ。
空は青く晴れているのに雪が舞っている。