三陸の旅 その15

(2/20(水)昼)


10:24 バス停に戻って大船渡行きを待つ。少し遅れて来る。
ドアが前方にひとつしかなくて乗り降り一緒。
先に下りる人が全員運賃を払って外に出てから乗り込む。
座席がやけに高く、ああ、弘前−青森間で走っている弘南バスと同じだなと。
本数が少ないから混んでるかと思いきやそうでもない。
陸前高田市役所前まで860円。


先ほど見かけた市役所で何人か下りていく。
門を曲がってしばらく行くと更地が広がっていた。
ガイドブックを後で参照したら「鹿折地区」
僕は見逃したけれどもここには
押し流された漁船がそのまま残されているのだという。
結構港から離れた奥まった場所なのに。
この世ならぬことが起きている。
鉄道が復旧していないのは
ここ気仙沼から海沿いにかけてなのだということを改めて思い出す。


11:02 到着予定。陸前高田までは30分弱。
切株だけの荒れた山もまた津波に押し流されたのか。
海辺にも瓦礫が残されたまま。空の青さを映し出して青い海が広がる。
陸前高田市に入る。津波がこの高さまで到着した注意、と看板が出ている。
高台の家は無事だったのか、平然としている。
バスは海沿いまで降りていく。
人一人ぐらいの高さにまで詰まれた大きな瓦礫の山、工事用の土の山。
気仙沼が「まだ残された箇所もある」というレベルならここは桁が違う。
中心部に近付くに連れて更地がどんどん大きくなる。
道路だけが残り、全ては流し尽くされたあとなのか。
海沿いに目を向け直すと写真で見かけたことのある大きな建物だけが
足元がボロボロになりつつ立ち尽くしている。
バスはまた山間の坂道を上っていく。
陸前高田市役所前で下りる。


プレハブ造り。2階建てで4棟あるようだ。
そっと中を覗くと忙しく立ち回っている人々ばかり。市の職員か。
中に入ってあれこれ聞くわけにはいかなかった。
市の地図や資料があるならばもらいたかった。
仮設観光案内所などいくつかの施設が工事中にあった。


とりあえず”市街地”に出てみよう。
バスが上ってきた坂道を引き返して坂道を下りていく。
なんでこんな辺鄙な場所に下ろされるのだろう?
もっと”市街地”に近いバス停があったのではないか。
帰りは町の人に聞こう。そんなことを考えながら歩いていく。


中学校に出る。丘の上にある。高いところにあってよかった。
急な坂を上りきるとプレハブの診療所があって、
校舎の脇には仮設住宅が並んでいた。
かつては校庭だったのだろうか。
郵便配達員が一軒一軒回って声を掛けながら手紙を配っていた。
校舎の中では授業が行われている。
仮設住宅の寄り集まった一帯の隅にベンチがあって、
おばあさんがふたり世間話をしていた。


丘を下る。この辺りの民家は無事か。
なだらかな坂道を海に向かって歩いていくと広大な更地に出た。
道路がまっすぐに伸びていて、別の道路と直角に交わる。
その上をダンプカーが何台も何台もひっきりなしに通り過ぎる。
ところどころにプレハブの建物が建っている。
多くは解体業者によるものだろう。
そのうちのひとつは農業に携わっている団体で、裏で畑を耕していた。


JAなど2階・3階建ての大きながっしりとした建物たちが正に今、
解体されるところだった。あちこちでショベルカーが動いていた。
NTTの建物だけが手付かずに残されていた。
これまでは比較的小さな家屋の瓦礫を片づけるだけで手一杯だったのだろう。
ようやくこの段階に来て、見渡す限り全てが更地となって
一区切りを迎えることができるのか。
家の土台と祀られた巨石と手向けられた花と、
いくつか意図的にささやかなモニュメントとして残された生活の痕跡
(オーディオセットのパーツなど)それ以外にはもう何も、
ゴミすら残されていない。
土と枯れた雑草たち。


解体工事の現場に近付く。僕以外の”見学者”は遠くに一人だけ。
瓦礫に近付いても、写真を撮っても注意を受けることはない。
そこに”それ”がある。もはや元が何の物体だったのかさっぱり分からない。
かろうじて金属だった、プラスチックだったと区別がつくぐらい。
形というものを失った、意味づけというものを失った物質たち。
僕は解体中の建物のひとつにこっそり入ってみる。
(請け負った組によるのだろうか、のんびり無頓着に進めているところと
 理路整然と物事が進められ僕が近付くと係員が警戒するところとがあった)
もはや元が何の建物だったのか分からない。
それがなんだったのか思い出せるのは懐中電灯と宙吊りになったスピーカー、
階段に転がっていた大きなくぐもった色のパイプ。
オストメイト」と書かれた掲示があったから病院だったのか。
生活や人生や歴史というもの。
そのささやかな悲しみや喜びの残骸が無作為に砕かれて
床の上に寄せ集められ、剥き出しのまま飛び出して、壁や天井からぶら下がる。
用途不明の部屋をいくつか潜り抜けると階段があったので恐る恐る上ってみた。
1階同様、外に向いた壁を失っている。
普通に歩けるぐらいに床がしっかりしている。
しかし僕は怖くなってすぐに、物音を立てないように下りていった。


海辺に出た。風が強くて冷たい。砂埃も激しい。
ふと見ると足元に石が積まれている。
「オカモト セルフ」という看板が建っている。最近のものなのか。
バイパスをひっきりなしに車が通るが、工事関係外で歩いている人は皆無。
大きな黒い布で覆われた土嚢を積み上げていて、僕はその上を歩く。
港湾施設の建物がグニャッと折れ曲がった赤い骨組みや階段だけを残している。
さらに歩いていく。なんらかのボイラー的な機械装置を覆っている小屋と
その横に倒れた見張り塔のようなもの。
地面に食器が並べられている。和式の便器が剥き出しで4つ。
遠くにいつか写真で見た野球場の照明塔が4本見えた。
低く水没して周りを海で囲まれて屋根を失った建物。
ブロック型だったのがごろっと転がって土台がこちらに向いている建物。
元は瓦礫だったのを寄り集めたのか、
灰色、茶色、青、様々な色の岩で造られた桟橋兼堤防が広がる。
野球場に近付く。ショベルカーがいくつか停止したままになっている。
そのひとつでヘルメットをかぶったふたりが大声で話している。
目の前にショベルカーが1台停まっている。
運転席にいた人と目が合った。無言で僕のことを見つめていた。


その場から、海辺から、離れる。
バイパスを渡って更地の中の道路をまっすぐ歩いていく。
それにしても”市街地”はどこにあるのだろう?
流されなかったエリアは、どこにあるのだろう?
google map を再表示する。
いつの間にか僕は市の中心部を横ぎってかなり遠くまで来ていた。
え? 地図に表示されている
「マイヤ高田店」
ファッションセンターしまむら陸前高田店」
「キャピタルホテル1000」
「リアスコーストショッピングセンターリプル」
陸前高田市役所旧庁舎」
陸前高田駅」
これら、どこにあるの?


そうか、全部流されたんだ。


その瞬間、ぞっとした。
僕はずっと地図上に現れていた幽霊を追い求めていた。


帰ろう。
時計を見ると13時前。
着いたのが11時過ぎだったから、たった2時間弱歩いただけだった。