今日は春分の日でとても温かかった。
昼間、部屋の中でTシャツ1枚で過ごした。
桜は例年よりも早く咲いて、
3月末には散ってしまうのではないだろうか。
冬はもう終わったのだろう。
今はお彼岸の時期でもある。
小さい頃には分からなかったけど、
「向こう岸」ってことを意味しているのだな。
三途の川を渡った先というか。
死者たちの住む世界にこちらが近づくのか。
それとも向こうが近づくのか。
そこには時空を越えた穴が開くのか。
だとしたらお盆とはどう違うのか。
身近なようでいてこういうことは何も知らない。
少し調べてみると向こう側とは死後の世界ではなくて
涅槃のことであるらしい。
サンスクリット語でお彼岸とは「波羅蜜」のこと。
菩薩に至るための徳目の階梯ですね。
ここまではすぐ分かったけど、
それが仏教を通じてなぜ日本では
ご先祖様へのお供えとなるのかまでは分からなかった。
なんだろう。仏様はひとりひとり
菩薩になるための修行を行なっていて、
そのために現世の我々はそのフォローを
陰ながら行うということなのか。
それがなぜおはぎになるかというと
春は牡丹、秋は萩で季節の花を大切にするところから
来てるみたいなんだけど、
それを聞いてなおさらよく分からなくなってきた。
インド、中国、日本と経て伝わって来た仏教は
その宗教的な教えと共に哲学的な学びと両面あって。
複雑な概念が儀礼として表面化され、
それが何百年とかかって我々の生活に習慣として残っている。
その背景・意味は仏門に入った人でない限り
なんとなく感じるもの、でしかなくなっている。
おはぎひとつ取っても実は今から2500年以上昔の
ゴータマ・シッダルタの誕生にまで戻っていくはずであって。
荻窪西友地下の惣菜売り場を歩きながらそんなことを考えた。