訳あって浦島太郎について調べていた。
その歴史を知りたいとなったとき
三舟隆之著『浦島太郎の日本史』(吉川弘文館)という本がちょうどよかった。
せっかくなので要点をまとめます。
・『日本書紀』によれば浦島太郎が竜宮に向かったのは
雄略天皇二十二年(478)であり、
『水鏡』によれば、帰ってきたのは天長二年(825)7月7日のこと。
347年間、竜宮にいたことになる。これら歴史書では実在の人物とされた。
・昭和40年代の絵本には乙姫の父として竜王が描かれているが、
昭和50年代の絵本にてその姿はない。
これは世相:家族のあり方を反映しているのかもしれない。
同様に浦島太郎の家族も母だけとなる。
・浦島太郎の物語は北は青森県から南は沖縄県まで分布している。
沖永良部島では海幸山幸の物語と融合して、
釣り針をなくした弟が竜宮城に行くことになっている。
・『日本書紀』の頃の浦島太郎の物語は中国からの神仙思想の影響が強く
向かうのは竜宮城ではなく蓬莱山(常世国)だった。乙姫は仙女だった。
浦島太郎のイメージには仙人、不老不死が重ねられた。
亀や玉手箱、蓬莱山、過ぎ去った時間のモチーフが用いられた物語は
かなり形が変わるとは言え中国や朝鮮半島にも存在する。
・浦島太郎の物語/伝説の発祥の地は丹後国である。
『日本書紀』と同じ頃の『丹後国風土記』が浦島太郎について
詳しい記載がある。
・『万葉集』『千載和歌集』『新古今和歌集』などでも浦島太郎は詠まれた。
『源氏物語』でも少し言及されている。
・室町時代の『御伽草子』では
亀を助けるのではなく、海辺で亀を釣る。
その背中に乗るのではなく舟で竜宮城に向かう。
そこでは亀が乙姫に変身して、浦島太郎と結婚する。
戻ってきて玉手箱を開けると浦島太郎が鶴となり乙姫が亀となる。
玉手箱は決して開けてはいけないものではなく、
むしろ困ったときに開けなさいという逆の扱いだった。
(『御伽草子』にて初めて「竜宮城」「玉手箱」が登場する。「乙姫」もこの頃)
当時の説話集には浦島太郎には元々妻子がいたなどのバリエーションがある。
・浦島太郎という名前が初めて登場するのは永享十年(1438)の『秘蔵書』
それまでは「浦島子」などと呼ばれていた。
・謡曲にも謡われるようになる。狂言の題材にもなる。
絵巻物にも描かれる。
・江戸時代に入って、浦島太郎の伝説は全国に分布。
本来海辺に伝播するはずが信州木曽地方の「寝覚の床」などにも。
浦島太郎が釣りをしたとされる奇岩がある。
故郷へ戻ってきて何百年と過ぎ去っていたことを知った
浦島太郎が全国を旅して、ここに居ついたというもの。
この成立には当時の医者:田代三喜が関与している。
・神奈川にも浦島町や浦島町が残る。
子孫と自称する一族も住んでいる。
地元の漁師が渡海安全を浦島太郎に祈願したと推測される。
香川県荘内半島の丸山島には浦島太郎親子の墓がある。
・江戸時代には十返舎一九によるものなど
浦島伝説のパロディが盛んに作られた。
・開国後、明治十八年(1885)長谷川弘文社が浦島太郎を翻訳。
「The FISHER-BOY URASHIMA」
訳したのはお雇い外国人のバジル・ホール・チェンバレン。
・巌谷小波の『日本昔噺』に取り上げられた浦島太郎が
現在の姿に近い。亀を買い取って助ける。
竜宮城はきらびやかな御殿。乙姫とは結婚しない。
玉手箱は「決して開けてはならない」とされる。
『御伽草子』が元になっているが、大きく改編されている。
・明治四十三年(1910)、第二期国定教科書『尋常小学校読本』の
「ウラシマノハナシ」と大正七年(1918)
第三期国定教科書『尋常小学校読本』の「うらしま太郎」にて
現在のストーリーとして定着する。
明治四十三年『尋常小学校読本唱歌』にて「浦島太郎」が登場。
「昔々浦島は 助けた亀に連れられて
竜宮城へ来てみれば、絵にもかけないうつくしさ」
・浦島太郎をモチーフに幸田露伴がパロディを、
森鴎外が戯曲を、武者小路実篤が脚本を書く。
そして太宰治の『お伽草子』へ。