夏至祭り

夏の終わりが近づいて、
手元に残された数少ない写真の群れを焼き捨てることにした。
これも最後かと割れた窓以外何もない部屋でひとり密かにめくっていたとき、
夏至祭りの色褪せた写真が出てきた。


その「村」には十一の年まで住んでいた。
「大逆行」にて村に流れる時間が衝突して重力が崩壊したとき、
あの国の多くの村や町同様、消滅してしまった。


夕暮れの岸辺に舟が着くのを合図に、最初の松明が灯される。
丘の上までの道を一定間隔に並んだ村人たちが
時の経過に合わせて自らの松明に火を受ける。
その年は私も列に加わった。
私は弟の手をギュッと握りしめながら炎の熱く燃え盛る松明を高く高く掲げた。
後日の災厄で「断層」に捉われ、二度と見つかることのなかったまだ小さかった弟。
その汗ばんだ右手を私は今、思い出す。
…ああ、私の手がまた震えた。


丘の上に巨大な月時計があって、霞む光に照らされて長針と短針が影を作った。
それが重なったとき、笛や太鼓の演奏が始まる。
唄い人が真ん中に立ち、大人たちは夜が明けるまで月時計の周りを歌い踊る。
子どもたちはその光景を見てはいけないとされた。
そこでは誰もが言葉を忘れ、「時の子ども」になるのだと言われていた。


私たちは、私と弟は、毎年いつもそうしていたように川へと向かった。
「それ」は既に始まっていた。
木切れを編んだ小さな舟に色とりどりの蝋燭が灯され、
十字架が立てられ、様々な姿形をした時計が括りつけられていた。
国のあちこちから集められた、それぞれの時刻で止まってしまった時計。
年老いた人たちが無言で手を合わせていた。
弟は目の前を通り過ぎるそれら時計たちを指差しては何時何分と数え上げた。
私は川の上を流れゆく無数の明かりをなんとはなしに見つめていた。
ふっと弟は私の手を離して川面に駆け寄る。振り向いて、笑ってみせた。
私は二・三歩追いかけて立ち止まった。
古びた時計の群れが途切れることなく私たちの目の前を通り過ぎていく。
その灯がはるか下の河口まで続いた。


沖まで出てそのまま潮の流れに乗るものもあれば
岸辺に打ち上げられるものもある。
その多くが翌朝砂浜で見つかった。
私たち子どもは古くから伝わる数え歌を歌いながら
それらをひとつひとつ拾い上げて、端切れに包んで村外れの修理工場に運んでいく。
赤茶けたレンガの高い塀に囲まれた工場からは絶えず白い煙が上っていた。
待ち受けていた修理人たちが、父もまたその一人だった、分解して部品をより分ける。
村ではそれら部品を集めてこの世界で最も大きな時計台を作ろうとしていた。
永遠に完成することのない、矛盾した時をバラバラに刻む時計。
「災厄」が真っ先に目をつけたのも無理はない。
時間の嵐が、私たちを吹き飛ばした。


生き残った私たちは着の身着のまま七日七晩歩き続け、国境を越えた。
どこに居ても、どこに辿り着いても、変わりはなかった。
この世界がまた再建を始めたとき、
私たちは「時計」というものを製作し所有することは許されなかった。
私たちは計測される「時間」というものを放棄した。
「新秩序」の狂信的なリーダーのもと、
それはやがて一切の過去を、未来を語ることの禁止につながった。


私はこれまで一冊の小さなアルバムを隠し持っていた。
人前ではおろか、自分に対しても開くことのなかった、ボロボロになったアルバムを。
しかしそれも最後のときが来た。
十四歳になった今、私はこの新しい世界で生きていかなければならないことを知った。
絶えず崩壊し続け、本来ならば砂時計になるはずの砂が
風に吹かれて消えてなくなる、この世界で。


あのときの夏至祭りの唄が口をついて出た。
かすかな声で歌った。
ここから遠く離れた別の世界にいる父よ母よ、弟よ。
さよなら。そようなら。
告げる私の、声が聞こえるか。