ビルの解体現場を歩く

朝晩東京駅から神保町駅まで片道30分かけて歩く。
朝は iPhone に入れた RADIKO で InterFM の
ピーター・バラカンの番組を聞いて、
夜は その時々で聞きたい曲をザッピングする。
地下鉄に乗ってるとアルバム単位で聞くけど、
仕事が終わってオフィスを出て歩くときは1曲ずつ
その瞬間の気分に合う曲を聴く。


大手町や丸の内を歩いていると
(や、そもそも大手町と丸の内の違いって何なのだろう?
 三菱が絡んでるのが丸の内って以前聞いたことがある)


年がら年中あちこちで古いビルが解体工事され、
新しい超高層ビルへと建て替えられている。
まるで細胞の新陳代謝のよう。
この動きが止まるとき日本経済も終わりだな、と思う。
日経新聞を読んでなくても皮膚感覚で分かることがある。


大規模な工事現場があるからクレーンを無数に見かける。
朝は静止していて、夕方はまだ動いている。
毎日のように眺めていると
首長竜であるとかなんだか生き物のように思えてくる。
朝晩と同じ方向に向かって静止しているのが群れのようだし、
昼間に動いているのも巨大な巣作りだ。


そういう工事現場の風景が好きで、
朝晩なんとはなしに iPhone で撮った写真がたくさんある。
建設中よりも解体中の方が断然惹かれる。
それまでは秩序ある全体の中にあったものが
今は部分として破壊されるがままになっている。
その晒された剥き出しの壁がポツリと残っているとゾクッとする。


最近撮った中で最も気に入っている写真がそういうの。
でも他の人にはよくわからないと思う。
自分でも何がどういいのか説明がつかない。
恐らく、無意識下に広がっている心象風景がこうなのだろう。
夢の中でよく見てる気がする。
灰色の空、廃墟の断片、くすんだ色彩、幾何学的な構図、無人の風景。


今はお気に入りの解体現場を朝晩眺めて進み具合を確認している。
つい半年前までは普通に建っていた。
今は地上近くに、横に梁渡した
巨大な四角い柱とその両端の土台を残すのみである。