「ペーパーボーイ」

月に1度の会社を休んで映画を見に行く日。
朝イチの新宿武蔵野館で「ペーパーボーイ」
http://www.paperboy-movie.jp/
月曜の朝だというのに30人以上入っただろうか。


1969年のフロリダ。公民権運動の高まり。
湿地帯の噎せ返るような熱気。
20世紀で最も混沌に満ちた時代。
大学を辞めてブラブラと暮らしていた主人公の青年は
冤罪事件を追うために地元に戻ってきた
新聞記者の兄の手伝いをすることになる。
その事件は白人男性が保安官を殺したというもので
ホワイトトラッシュゆえにたいした捜査もなく有罪となった。
刑務所で暮らすその男と手紙のやりとりだけで
婚約したという妖艶な女性がふたりの下に現れ、
主人公の青年は恋心を抱く。
その辺りのストーリーが縦軸となり、
南部湿地帯のけだるい雰囲気が横軸となる。
沼地の奥に住む裸同然の貧しきホワイトトラッシュたち。
ワニの皮をはぐのを生業とし、腹を切り裂いて内臓を取り出す。
血が滴り落ちる。


例えばヴァージニア・ウルフを演じきった
めぐりあう時間たち』とは正反対の安っぽい女となった
ニコール・キッドマン
単に人間のクズという一言では片付けられない
奥行きのある人物を体現した
マシュー・マコノヒージョン・キューザック
演技のアンサンブルがなかなかよかった。


でも、どこかしっくりこない。
こんなの初めてだけど、
空調が効きすぎていたがゆえに雰囲気が出なかった。
映画館の涼しい中で見ていると沼地の泥の臭いがしないんですね。
なんだか全体的に映画が遠い。シンクロしない。
いっそのこと空調を切って汗だくの中で見ていたら
この作品はギラギラとした名作に感じられたかもしれない。


映画を観るというときは視覚・聴覚だけではなく、
椅子の固さや乾いた喉を潤したコーラ、
一緒に観に行った女の子のつけていた香水など
五感の記憶も意外に大事なんだなと。
そんなことを思った。