原子力船「むつ」

このところ青森県というか下北半島に関する本をいくつか読んでいる。
鎌田慧『下北核半島』を読んで、次に
倉沢治雄『原子力船「むつ」 虚構の航跡』


戊辰戦争後、旧会津藩士が下北半島奥の斗南藩へ移される。
そこは寒さの厳しい不毛の地であって作物も育たない。
元々住んでいた人たちとも摩擦が生まれる。
それでも根気よく根付いて生きていく。


やがて昭和も後半へ。
下北半島:六ケ所村には再処理工場。東通村大間町原発
なのに三沢には沖縄の次に大きな米軍の基地があって
日々戦闘機が離着陸訓練を行っている。
今年「ふくしま」のことに関わっていて
自分の中でそこがリンクになるのか、ということを思う。


僕の父は新聞記者であって
原子力船「むつ」が急遽関根浜港に来ることになったかで
車を飛ばしていたら衝突事故を起こして事故死。
山道を走っていたはずだ。
他何台か新聞社の車が連なっていて、その先頭だった。
10年近く前、母と妹とその事故現場を20年ぶりに訪れた。
それは確かに関根浜の近くだった。母が場所を覚えていた。


よほどのとくダネだったのだろう。
7歳の時だった。1982年の3月。
僕は何が起きたのか、ちっともわかっていなかった。
40を前にしてなぜか、父の死んだ年が近づいてなぜか、
その時「むつ」に関する何があったのか、
本を探して調べてみようと思いたった。
国会図書館で当時の新聞を探すのがいいんでしょうけど、
 それは最後の最後までとっておくつもり)


詳しいことは本を読んでも出てこない。
どうも「むつ」そのものが移動したのではなさそうだ。
あの頃はまだ佐世保港で修理を受けていたはず。
当時の「むつ」推進のトップだった
中川一郎科学技術庁長官が急遽関根浜周辺を視察に訪れたのか。


父の同僚が追悼の記事を書いていた。
その切り抜きはまだどこかに残っているのだろうか。
この3連休は青森に帰る。
探さなければ。