スタジオジブリがアニメ制作部門を解体するというニュースが流れる。
コンテンツの利権が動いているのか、ドワンゴ傘下に入るというニュースもあった。
ごく普通の感想だけど
もはやアニメを作らないという宣言に潔いなとも思うし、
宮粼駿・高畑勲を超える人材はなかなか、どころか全く育たないのだなとも思った。
ジブリを越えて日本映画界全般としても。
そこに未来を感じていないという意思表示なのだろう。
特にジブリのファンではないけれど宮粼監督の映画が公開されると劇場で観ている。
吹き抜ける風にそよぐ見渡すかぎりの草原といったディテールのひとつひとつ。
あれはやはり大きなスクリーンで観ないことには味わったことにならない。
それでも、『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』が
『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』より
面白かったかというとそれはなかった。
これから先何を作っても越えられないだろう。
それはもはや宮粼駿監督の問題ではなくて、ひとりの人間の作品を超えて
『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』がいかに完成度が高いかということだ。
10年か20年は誰が何を作っても越えられない。
引退を決めたのは正しかったし、それがひとつの時代の終わりを告げることになった。
宮粼監督の作品に向き合っていると
アニメをも含む映画、映画を含む物語というものは
(映像のタッチや魅力的なガジェットをも含む)「ワールドモデル」(世界観)と
(巨神兵やカオナシなどの造形をも含む)「キャラクター」が全てであって
あとはその物語特有の「きっかけ」を元にストーリーが
普遍的なパターンに基づいて展開していく。
その揺るぎなさを痛感する。
パズーであれ、サンであれ、キャラクターがその重厚に練り上げられた世界の中で
生きて、呼吸をして、何かを選択し前に進むというだけでストーリーが進んでいく。
僕らは、彼ら彼女たちが何を選択したかを知りたくてその作品を観ていると言ってもいい。
その切実さが魅力だった。
細田守監督の『時をかける少女』も『おおかみこどもの雨と雪』もものすごく面白いけど、
そこのところ宮粼駿監督の凄みには一歩も二歩も及ばない。
次の世代で、直接手渡しではないにせよバトンを受け継ぐのはこの人だと思うけど。