福島へ その1

14日・15日と「ふくしま再生プロジェクト」の撮影で福島県へ。
5時起き。荷物をまとめて東京駅へ。
つばさ123号。東京7:12発、郡山8:33着。
福島で山形新幹線を切り離すんだったか。
途中で降りるので「つばさ」山形新幹線側だった。
初めて乗った。ABCDEの5席ではなくABCDの4席だった。


腹が減っていたので駅弁を買って食べることにする。
たいめいけんの「チキンライス弁当」にしてみた。
唐揚、エビフライ、グラタン、例の名物コールスロー、そしてあのチキンライス。
うまかった…。これで1,100円は安い。


積読の山から適当に持ってきた湊かなえ『告白』を読み始める。
読みやすい。というかうまい。この人、話も運びもうますぎる。


郡山に着いて駅舎の外に出る。
車で迎えに来ていたYさんと落ち合ってさっそく高速に乗る。
いわき市へと向かう。
先月Yさんが仮設住宅の集会所を訪問したときの模様をビデオに撮影してもらった。
それを僕が編集した。短い動画にして関係者に公開した。
そのとき映っていた少年の話をする。
彼は浪江町に住んでいた。
津波から逃れるために付近の避難所に逃れて、
その後すぐ原発から逃れるため別の避難所へ。
数ヶ月そこで過ごして二本松の仮設住宅に移り住み、今に至る。
その付近の避難所で過ごしていたとき、
高校生は手伝いなさいということになって外で炊き出しへ。雨が降っていた。
そのときに被爆する。
ヨードは届いていた。しかしそれが何に使うものなのか分からなかった。
得体の知れないものを飲もうとはしなかった。そもそも適量が分からなかった。
彼は今、定期的に検診を受けている。甲状腺に陰ができていて要経過観察。
しかし特に病名は特につけられていない。
彼の母は今も後悔している。


線量計を生まれて初めて手にする。2台あった。
1台は郡山市の集会所に配布されたもの。それでも一台27万もするのだという。
届いたのは2011年の夏が過ぎてから。現場は混乱していた。
Yさんは何とかして手に入れたくて(もちろん他にはそういう人は大勢いた)
たまたまニュースで「文科省にて余っている」と聞くと文科省に電話をした。
届くには届いたが使い物にならなかった。
もう一台は累積で計るもの。
郡山内で計ってみると0.11マイクロシーベルト
正直高いのか低いのかよく分からず。
除染ってどこまで進んでいるのだろう?
いわき市に入って、0.07マイクロシーベルト


豊間の海水浴場へ。道路に沿って除染の黒い土嚢が並べられ、
遊泳禁止の看板が立っていた。
それを無視するようにサーファーたちが浜辺を歩き、波間を漂っていた。
駐車場は彼らが乗ってきた車でいっぱいになっている。
ウエットスーツを脱いで煙草を吸いながら世間話に笑っている。
僕は海辺にカメラを向けた。
2年か3年経過して除染の土嚢には雑草が生えていた。
地元のサーファーたちなのだろう。
彼らは地元の海を愛することから始めるのだと思う。
わざわざ福島の海に入りたいと思って
東京からここに来ることはないのではないか。
福島沖で取れた魚は食べないと言ってる人もいるべきだし。
彼らは砂浜に下り立つとビーチサンダルを脱ぐ。
土や砂に足が直接触れるのはよくないのだろうか?
と今日は短パンにサンダルではなく
靴下とスニーカーにジーパンで来ていた僕からすると
あれ? そういうものかと肩透かし。


撮影を終えて、次の海水浴場、薄磯へ。高台に灯台が建っていた。
こちらはサーファーではなく海辺で遊ぶ家族連れが多かった。
美空ひばりいわき市にゆかりがあるとのことで
石碑が立ち、その歌声がテープで繰り返されていた。
トイレを借りようと土産物屋に入ろうとするとおばちゃんがお茶を出してくれた。


新舞子ビーチを過ぎて四倉へ。
道の駅があって結構混んでいて、その先の久之浜へ。
この辺りから制限区域が見え隠れする。海辺の町を走る。
ごく普通の田舎町の住宅街のようでいてこの辺りは津波の被害が大きかったのだという。
2階建ての家の1階はどこも補修されていると聞く。
その中に芝生の公園があった。人気が全くない。
盆踊りがあったのかこれからなのか、真ん中に盆踊りの櫓が。
その四隅からロープが渡され、提灯が連なっていた。
何気ない光景だけど、警戒区域の近くかと思うと怖かった。
人の歩く姿がない。ただ、車だけが行き交う。


あのとき、津波で流された方の遺体はなかなか見つからず、
見つかったとしても火葬場が順番待ちで葬式が出せない。
5月や6月となったという。
それでも、見つかっただけでもよかったと語った人は多かったと。
津波は3回来て、2回目が大きかった。
1回目で大丈夫だと思った人たちが戻ってきてしまった。
そういう人たちが犠牲になった。


広野町から楢葉町へ。Jヴィレッジとその手前に火力発電所
何の変哲もない家々の向こうに白い煙突が3本高く伸びる。
ヤマザキのデイリーストアがあってその先にセブンイレブンがあった。
さらにその先にもう一軒セブンイレブン
これが北限のコンビニとなる。
以後、コンビニやスーパーがあっても営業していない。
家はあっても誰も住んでいない。そんな状態になる。