福島へ その2

8/14(木)続き。


楢葉町を北上する。
町並みはひっそりと静まり返っている。ゴーストタウン。
生活感が消えうせて目には見えない堆積物で2階まで覆われているような。
この辺りからパトカーによる見回りが増える。
バスがひっきりなしに往復する。除染や原発関係の作業員たちを送り迎えする。
お盆休みなのか昼過ぎの今は原発へと向かう方面はガラガラで
出てくる方面はパラパラとしか乗っていない。


天神岬スポーツ公園へ。高台へと上っていく。
キャンプ場があるがもちろん利用者はいない。草ぼうぼうとなっている。
野球場がすっぽり収まりそうな広い芝生の遊び場も子供たちの姿は皆無。
滑り台やジャングルジムちった遊具が点在しているのが寒々しい。
沖合いには洋上発電の施設があるとのことだが、ここからは見えない。
崖の上から火力発電所が見える。
そこまでの間にはかつて田園だったのか野原が広がっていて、
それが区画を分けられ、除染された土嚢の黒い袋が癌細胞のように並んでいる。
一部は土嚢ではないのかビニールシートに覆われている。
何事もなかったかのように虫の声と鳥の声が聞こえる。
何かに使うだろうと録音しておく。


僕が撮影している間、後から車で来た老夫婦とYさんが話す。
富岡町で生まれ、この公園で少年時代は遊んだ。ふるさとだった。
最近火力発電所の向こう側に家を建てたという。
震災後仮設住宅で3年過ごす間に国や県や周りの市町村に対して
何もしてくれない、信用できないと激しい怒りを覚えるようになった。
補償を巡るやっかみであるとか。
それを誰にもぶちまけられない。
僕は怖くて話せなかった。目が怖かった。マスクをしていた。
津波仮設住宅に移った人たちにはゼロで、原発でという人たちには補償金が出る。
もらっている人たちはあいつら金を持っているとやっかまれる。
ひとつの町の中でも差が出る。移り住んだ地域の人たちにも嫌がられる。
火力発電所は我関せずと言わんばかりに無言で立っている。


そのまま下まで下りていかず、車に乗って高台の上の宿泊施設を通り過ぎる。
今は宿泊客は受け入れてなくて、除染作業に従事する人たちが利用している。
敷地の端の方にコンテナのような灰色の仮設住宅が建っていてやはり作業者用の部屋。
シンと静まり返って人気がないのはお盆休みだからなのだろう。
Yさんが以前夜ここに来たときは大勢の男たちで賑やかだったという。
仕事を終えて酒を飲んで騒いでいた。
だいぶ昔に閉められて、色褪せて壊れかけたコテージが二軒並んでいた。
乱雑に物が投げ出されてそれっきりになっている。
モーターボートがその脇の茂みに突っ込まれている。
これは震災以前に持ち込まれたものか。
これらのコテージも震災に関係なく営業不振だったのか。